日刊競馬コラム
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日刊競馬で振り返る名馬
ナリタブライアン
1994年・第39回有馬記念

◎絶対的な強さ

 
 レース柱(816KB)


 オグリキャップやトウカイテイオーの回で触れる予定だが、当時の私はシンボリルドルフをリアルタイムで見ていないこともあり、『競馬は順番』『競馬は適性』という思想で固まっており、『絶対的な強さ』というものを信じられなかった。そこに登場したのがナリタブライアン。これはもしかすると『絶対的な強さ』を具現する馬なのではないか。そう思えた。

 タイミングの問題もあった。ナリタブライアンが三冠を達成した1994年は、私が日刊競馬に入社した年だった。精神状態は競馬を始めたばかりの頃(この時点で5年以上経過しているのだが)と同じで、すべてが新鮮。将来、プロフィール欄に『ナリタブライアン三冠の年に入社』と書けるんじゃないかという妄想にも取り憑かれ、三冠達成を望み、そして応援した。

 ダービーまで11戦8勝。デビュー戦2着、函館3歳(当時)S6着、デイリー杯3歳(当時)S3着と、3回負けている。どう見ても短距離向きではないので、函館の1200mや京都1400m(=短距離の範疇)で負けるのも仕方ない。例えばシンボリルドルフは、新潟1000m(直線競馬ではありません)でデビューして勝った(「1000mで1600mの競馬をした」と言われる)後は1600m未満のレースには出走していない。3歳戦(当時)の短距離で負けていたことで「絶対的な強さ」にケチがつくものでもないだろう。皐月賞3馬身半差、ダービー5馬身差。「相手が弱いから」とも言われたが、それを言えばシービーもルドルフも同じようなもの。三冠馬は「そういう年」でなければ誕生しないものだし、三冠馬を相手に走れば弱く見えてしまうものだ。

 秋緒戦は京都新聞杯。ここで不覚を取ってスターマンに負けたが、皮膚が厚く夏場や休み明けは良くなさそうな馬。皐月賞(1.5倍)やダービー(1.2倍)よりは少し支持率が下がった(1.7倍)ものの、菊花賞ではきっちり立ち直って7馬身差の圧勝。みごとに三冠達成となった。続く有馬記念も3馬身差。「史上最強」の声も出てきた。私もそう思った。

◎ブライアン ジングルベルが聴こえるか

 翌年春の阪神大賞典も7馬身差で楽勝したものの、その後に股関節炎を発症。復帰は秋の天皇賞となったが、4コーナーで好位に上がったもののズルズル後退して12着。続くジャパンCでも、少し良くはなったが6着。ここで私は思った。「イナリワンやオグリキャップ(天皇賞11着→ジャパンC6着の後に有馬記念1着)と同じだ!」。前日版の1面見出し(担当は私ではありません)も『ブライアン ジングルベルが聴こえるか』。本紙本命でも1番人気でもなかったが、主役はナリタブライアン。焦点はナリタブライアンの復活があるのかどうか、だった。

 そうして出来上がったのが(というか、一番ヒマだった私が担当した)当日版の特集コーナー。今になって見ると酷いデキだが、本気で「復活」を信じてこういうものを作り、そして買いましたよ。今は亡き「KEY」でも「一番強いナリタブライアン」と書いた。フォーカスもマヤノトップガンとジェニュインへの2点だけ。本気で「勝負」だと思った。

 逃げるマヤノトップガンに4コーナーで馬なりのまま並びかけるナリタブライアン。ナリタブライアンの単勝○万+ナリタ=マヤノの馬連○万(30倍)勝負の私が「できたっ!」と叫んだのは、今になっても当然だと思う。脳裏に札束が浮かんだほどだった。先日、「栄光の名馬たち・ヒシアマゾン」でこのレースの映像を見たが、どう見てもできている。

 しかしナリタブライアンは、手ごたえはあるように見えるのに失速して4着。今になって思えば、股関節を痛めた記憶が残っていて、全力を出せなかったのだろう。

◎幻の「復活」 そして短距離挑戦

 馬の記憶は約1年と言われる。ということは、96年春には股関節を痛めてから1年経っている。だからなのかナリタブライアンは、阪神大賞典でマヤノトップガンとマッチレースを演じて1着。馬連210円。「有馬の時はいくらついていたと思ってんだコンチクショー」と地団太を踏む私とは無関係に復活を遂げた…ように見えた。

 単勝1.7倍。菊花賞と同じ支持を受けて臨んだ春の天皇賞は、2番人気がマヤノトップガンの2.8倍。阪神大賞典に続いて「一騎打ち」という前評判だった。しかし、前哨戦でマッチレースを演じた2頭が本番でもそれを再現することは稀なことだ。有馬記念でしこたま儲けた同期(小山内完友・マヤノトップガンのペーパーオーナー)はマヤノトップガンで太い勝負をしていたが、私は「マヤノトップガン危うし」と考えた。

 4コーナーで並んでいたナリタ、マヤノのうち、マヤノが後退。1年半ぶりのG1勝ちは確実かと思えたが、さらに後ろからサクラローレルの差し。1、2番人気が早めの競馬でやり合って3番人気が差す。よくあるパターンではあるが、2馬身半差もつけられては「展開」だけでは済まされない。

 この結果を受け、「まだ本気で走っていない」と考えた陣営は、刺激を与えるために短距離戦(高松宮杯)への出走を表明した。非難轟々。私も「絶対に(馬券上は)要らない」と考えた。結果は4着。短距離のスペシャリスト(フラワーパーク、ビコーペガサス、ヒシアケボノ)が先行して1~3着を占める中、4コーナー9番手から追い込んでのものだったが、いわゆる「レースが終わってから突っ込んできた」という内容。「慣れ」の問題もあるのかもしれないが、やはり餅は餅屋という結果。『絶対的な強さ』はやはり幻なのか。それは今でも判らない。

ナリタブライアン 1991.5.3生 牡・鹿毛

競走成績:21戦12勝
主な勝ち鞍:朝日杯3歳S
皐月賞、日本ダービー
菊花賞、有馬記念
ブライアンズタイム
1985 黒鹿毛
Roberto
Kelley's Day
パシフィカス
1981 鹿毛
Northern Dancer
Pacific Princess