日刊競馬コラム
for SmartPhone

日刊競馬で振り返る名馬
ジャングルポケット
(2001年・日本ダービー)

◎強烈な輝き放った札幌の新星

 
レース柱(1.30MB)

 ジャングルポケットメモリアルは札幌記念の日の8月22日に行われる。2001年8月19日、ジャングルポケットはダービーを勝ったあと3ヵ月休養を入れ、菊花賞前のひと叩きとして札幌記念に参戦した。結果はエアエミネムの3着だった。札幌のような小回りの競馬場はあまり合わないタイプで札幌記念は勝てなかった。しかし札幌デビュー馬がダービー馬になり、デビューの地の最高のレースに出走した。札幌競馬場としては最高の出来事である。

 ジャングルポケットは2000年9月2日、札幌の新馬戦芝千八でデビューした。このレースの1番人気はタガノテイオー、2番人気はメジロベイリーだった。この2頭、のちの朝日杯3歳Sでは1着メジロベイリー・2着タガノテイオーである。

 ジャングルについて「素質を持っている」と厩舎側ではコメントしていたが、直前の調教では時計が今イチだったり、子供っぽい面を見せていたせいか5番人気だった。それに体重自体は456キロだが、少し重めに見える体型でもあった。小柄ながらアカ抜けて見えるサンデーサイレンス産駒タガノテイオーに比べれば、仕上がり度で見劣る印象があったのは仕方ない。

 1000m63秒7のスローペースで2・3番手から行く正攻法。トニービン産駒らしく4コーナーで外にふくれはしたが、2着に入ったタガノテイオーには最後まで抜かせなかった。《不器用だけど走る馬》という印象を与えるには十分であった。

 そのあとジャングルポケットは中2週で札幌3歳ステークスを使って勝った。新馬勝ちが僅差で、直前の併せ馬で先着しなかった上に、当日の体重がプラス10キロの466キロだったせいか、ここも5番人気だった。2着に入ったタガノテイオーでも新馬を勝って連闘という状況だったせいか4番人気。1番人気はのちの牝馬2冠(桜花賞・秋華賞)テイエムオーシャンだった。彼女は、前走の500万では6馬身差圧勝を演じていた。

 好スタート(一見は)からハナを切ったのは彼女だった。13頭立てで牝馬の参戦がわずか2頭、怖がりでもあったために彼女は前半離し逃げに出た。道中他馬に追いつかれハナを切るのはしんどい状況になったのだが、やはり素質は本物で3着に粘った。

 離し逃げが展開されると自分の走るペースをつかみにくくなる。ましてやキャリアの浅い若い馬のこと、我々が思っている以上に戸惑うこともある。その上馬場も荒れてきていた。しかしそれでも、ジャングルポケット(1分49秒6)とタガノテイオー(1分49秒8)、テイエムオーシャン(1分49秒9)の走破タイムはレコード(1分50秒3)を更新した。洗練されていなかった走りで、このパフォーマンス。結構強烈な印象が残った。

 2000年の札幌開催でデビューしたジャングルポケット、タガノテイオー、テイエムオーシャン、メジロベイリー(札幌3歳ステークスには出ていない。この時点では未勝利)は、今思えばタダモノではなかった。ジャングルは未完成度No.1、大物度もNo.1だったのである。

 札幌3歳ステークスのあとは3ヵ月ほどあけて、12月23日のラジオたんぱ杯3歳ステークスに出走。札幌では千田輝彦が騎乗したが、この時初めて角田晃一とのコンビになった。ダービー馬アグネスフライトの弟で12月デビューのアグネスタキオン、10月デビューで新馬、500万連勝中の外国産馬クロフネと初対戦となった。1番人気はクロフネ、2番人気はアグネス。休み明けで追い不足とされていたジャングルは3番人気だった。結果は4コーナーから早めに押し上げたアグネスが2分0秒8でレコード勝ち。2着ジャングル、3着クロフネだった。休み明けのジャングルにレコード決着は辛かったのだが、それでも従来のレコード2分1秒2とタイ。4コーナーでは置かれ加減ながら、終いはしっかり伸びた。ジャングルらしさは十分に見せたのだった。

◎テンネン系キャラの真価

 ところでジャングルポケットのイメージのひとつとして《パワフルでたくましい》というのがあるのだが、3歳時はそうだった。2歳時のジャングルはまだ実が入っていなくて線が細かった。出走時の体重は456~466キロ。渡辺栄師はあまりビシビシ追うことよりも、運動量を積むことに主眼を置いていた。そして必要以上にキャリアを積まない形で、成長するのを待っていた。

 キャラのタイプで言えば『テンネン系』である。ハラが減れば自然に食べ物を要求するし、寂しい時には自然にショボくれるし、競馬場に行けば自然にテンパるし、1頭で抜け出せば自然にソラを使うし、他馬に注目が集まれば自然にヤキモチ焼くし…。「こういうタイプは無理使いしてヘタに大人にしてしまうと競馬で走らなくなることもある。このまま育てばGI馬だね」と知人と話したこともある。

 そんなジャングルが初めて1番人気になったのは、翌年の2001年2月4日の共同通信杯の時。長距離輸送をこなして474キロで出走してきた。これ以降は470キロを切ったことがない。中間調教で速いタイムが出ないところは変わらなかったが、パワーがついてきたことはレースで実証した。このレースはCコース使用だったが、4コーナー大外に出してから伸びが違った。1分47秒9。過去にはナリタブライアン、メジロブライトの2頭が47秒台で共同通信杯を勝っていた。ジャングルポケットは、GIのタイトルにかなり近づいたことになる。そして共同通信杯のあとは4月15日の皐月賞まで待機した。

 一方、ライバルとなったアグネスタキオンは、ラジオたんぱ杯でジャングルに勝ったあとは弥生賞に出走。極悪馬場になり、勝ちタイムも2分5秒7だったが、2着ボーンキングには5馬身差をつけた。レース後のコメントには「最後はアップアップ」とあったのだが、世代で一番強くて完成度も高いと印象づけるには十分で、陣営からは『3冠宣言』も飛び出したほど。

 そして迎えた皐月賞。アグネスは枠入りを嫌がり、ジャングルはスタートで滑って後方に置かれた。それでも3コーナーから仕掛け、大外を回って勝ちに行く競馬をした。結果的にはアグネスとダンツフレームをとらえられず3着に終わった。不利も大きかったが、もともとが中山コースには向かないタイプでもある。大事とって1着を諦めて、2着拾いに行くことをしても良かったケースだが、角田晃一はそれをしなかった。この3着は仕方がない。

 ところで勝ったアグネスタキオンだが、道中手ごたえの怪しい場面があった。それでも勝ったあたりはさすがだった。しかし弥生賞は“楽勝”とされたが、皐月賞までの中間の調教では“?”のつく部分があった。極悪馬場でのダメージが相当あったはずである。皐月賞を勝って口取りに出てきたアグネスには、かなり疲労の色が見えた。レース後の河内洋のコメントにも「思ったよりピリッとしなかった」という言葉が出てきた。私とある知人が「アグネス、ヤバいかもしれない。ダービー勝つのはジャングルだね」と話していたところに、別の知人が「アグネス、素晴らしいね」と言ってきた。さすがに返事に困って「まあね…」としか言えなかった。案の定ダービーが近くなってから『アグネスタキオン屈腱炎で引退』のニュースが流れた。

◎フジキセキの無念を乗り越えて

 突然皐月賞馬アグネス不在となった2001年5月27日のダービーだが、別路線から注目馬が出てきた。NHKマイルカップを勝った外国産馬クロフネ。中2週でダービーに出走すると表明した。タフなのは分かっているが、NHKマイルカップで豪脚を使ったあとでキツくないわけはない。果たしてどうなるのか…。結局1番人気はジャングルポケットに落ち着き、クロフネは2番人気。

 当日は重馬場、コンディションは良くない。18番枠のジャングルは、今度はうまくスタートしたが後方でジックリ構えていた。そして勝負どころで外に持ち出してエンジン全開。伸び脚が違う。重馬場で他馬がモタついたというのもあるが、それ以上にジャングルは府中だと抜群の推進力を発揮する。先に動いていたダンツフレーム(2着)やボーンキング(4着)やクロフネ(5着)をアッサリ交わした。舌をベロベロ出しながら…。しかしこの時は自然に走ることに夢中になっていたせいか、ソラを使ってフラフラすることがなかった。

 渡辺栄師と角田晃一騎手の師弟コンビがダービーを勝った。過去にフジキセキの無念がある。ジャングルの担当厩務員もフジキセキの元担当だった。『フジキセキに匹敵、あるいはそれ以上のジャングルポケットでダービーを勝てなければ、もうダービーを勝つチャンスはない』。2004年に定年を控えていた渡辺師は、このくらいのことを思っていたかもしれない。

 そして札幌記念→菊花賞を経て、11月25日のジャパンカップに出走。ふたつ上の5歳世代のテイエムオペラオー・ナリタトップロード・メイショウドトウらと対戦した。道中ゴチャついたりしてスムーズな競馬はできなかったが、直線勝負に徹した。先に抜けてなお伸びるテイエムオペラオーを、ゴール前でとらえた。着差はわずかにクビだったが、大きな大きなクビ差だった。この勝利によって、この年GI3勝のアグネスデジタルを押さえて、年度代表馬と最優秀3歳牡馬をゲットしたのだから。

 翌年の有馬記念を最後に引退、種牡馬になったジャングルポケット。産駒がデビューするのは2006年になるが、シャトル種牡馬として国内外で活躍が期待されている。

ジャングルポケット 1998.5.7生 牡・鹿毛

競走成績:13戦5勝
主な勝ち鞍:日本ダービー、ジャパンカップ
トニービン
1983 鹿毛
カンパラ
Severn Bridge
ダンスチャーマー
1990 黒鹿毛
Nureyev
Skillful Joy