日刊競馬コラム
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日刊競馬で振り返る名馬
テイエムオペラオー
(2000年・宝塚記念)

◎総収得賞金世界No.1

 
レース柱(1.25MB)

 1999年。クラシックはテイエムオペラオー・アドマイヤべガ・ナリタトップロードの3強対決が話題に。しかし、オペラオーは皐月賞に登録されていなかった。このことは強さの影に隠れてしまった感あるが、トモの骨膜炎で皐月賞は間に合わないと判断されたためだ。ところが毎日杯を快勝。200万円を出して追加登録することになった。その皐月賞は1着。そのあとダービー3着、菊花賞2着。有馬記念ではひとつ上の世代のグラスワンダー、スペシャルウィークにかなわず3着。しかしオペラオーは、この世代ではトップクラスの地位を不動のものとした。

 2000年。スポーツ界の最大イベントはシドニー・オリンピックだった。メダルは高橋尚子や田村亮子などの金5、銀8、銅5。また注目競技の中でも野球では、メダル獲得に向けて前年の予選からプロの選手が派遣されるようになる。オリンピック=アマチュアの図式が変わり、プロ・アマの関係が少しずつ変わることになった。

 20世紀最後の2000年から21世紀最初の2001年、オペラオーは王道を進むこととなる。特に2000年はオペラオーの年だった。京都記念→阪神大賞典→春の天皇賞→宝塚記念→京都大賞典→秋の天皇賞→ジャパンカップ→有馬記念まで8連勝、1度も負けなかった。総収得賞金は18億円以上。今も世界No.1の賞金王として君臨する。

 2000年6月25日。3連勝中のオペラオーはこの日宝塚記念に出走。レース前からかなり雨が降り、良馬場発表ながら馬場はだいぶ緩かった。このような天気や馬場を嫌がる馬は多いのだが、オペラオーはまったくお構いなし。グラスワンダーが背後に迫っても平然。僅差ではあるが、当たり前のように勝って見せた。

 このレースでは、新たなライバルとしてメイショウドトウが台頭。以後オペラオーとドトウは対戦すること9回。そのうち小差で後先すること実に8回。それに合同引退式、スタリオンへの移動など付き合いが続いた。しかし、何の因果でこうなったのだろう。一方は市場取り引き価格は1000万でも最強馬、スマートでクレバーなイメージの強いオペラオー。もう一方はアイルランド産のマッチョで不器用で、いつまでも子供っぽかったドトウ。それゆえにドトウは、オペラオーたちがクラシックでしのぎを削っていたころは、まだ条件戦を走っていたりしてたのだから。

◎見た目の強さと本当の強さ

 オペラオーが現役だった頃のある日、彼のファンである友人がこう言った。「オペラオーには大差勝ちとかレコード勝ちがないのが気に入らない。それがないと強く見えない」。

 実際オペラオーにはレコード勝ちがない。最大着差も5馬身だ。友人の気持ちは十分理解できるし、同じように思っているファンは多いだろう。しかし、私はこう返事をした。「オペラオーが賞金王で現役最強馬でいるのは、大差勝ちやレコード勝ちがないからだよ。もし何度もそれをやっていたら、故障するかもよ」。

 大差勝ちやレコード勝ちは確かに名誉だ。しかしその次走とか、その後の肝心なGIレースなどを負けることが結構多い。本当は勝つこと自体がダメージのあることだ。たとえ小差でも続けて勝つのは大変だし、ましてや大差勝ちとなると簡単に続けられない。トップロードやドトウの陣営が、小差を詰めるためにどれだけ苦労したことか…。

 そう分かってはいても、人は競走馬に見た目でも強さを要求してしまう。なるべく差をつけて勝ってくれた方が安心して見ていられるから。オペラオーだって、もし、毎日杯を快勝(4馬身差)していなかったら。皐月賞に追加登録しなかったかも…ってことが、ないとは言い切れない。

 ではオペラオーに僅差勝ちが多かったのはなぜか。理由のひとつとしてパンパンの良馬場より、稍~重馬場の適性が高かったことが挙げられる。稍~重では2馬身以上の差が2回ある。これくらい差がつけば人は安心して見ていられる。

 オペラオーが8連勝した2000年。着差はアタマ~2馬身1/2までしかなくても、レコード勝ちは一度もなくても、この1年間は一度も負けなかった。勝つたびに確実に強くなった。賞金王として君臨することにもなった。最強のサラブレッドとしての完成形に向かって、ミレニアムを走っていた。

 オペラオーの本当の強さとは何か。『テイエムオペラオーの強さの秘密』というレポートがJRAのホームページ(競走馬総合研究所の中)にある。データなどはそれを見て頂きたい。以前総研にお邪魔した時「データをとった中では、オペラオーが最高」という話が出た。データがとられた時は2001年5歳の夏で、宝塚記念(2着)の直前の追い切りだった。

 不本意ながら未完成で引退していく馬は非常に多い。完成に達した場合でも、完成の時期には個体差がある。2歳時に完成する馬もいれば、古馬になってからの馬もいる。日本の最強馬と言えば、3冠馬シンボリルドルフやナリタブライアンを挙げる人もいるだろう。しかし両馬は現役中に故障して再起、また故障して、不本意な形での引退を余儀なくされた。3冠を勝とうと思ったら、馬を早く完成させる必要がある。それはまた、故障につながりやすいというリスクも発生する。

 オペラオーは一線級で闘うようになってからは、だいたい順調に歩みを進めた。未完成だったクラシック時は皐月賞の1冠を勝ったのみだが、古馬になってから最高と言われた性能を作り上げた。大きな故障がなかったのもそのためだろう。そうなると競走での消耗がある程度押さえられていればいいが…。
 『テイエムオペラオー系』。これができたら“本当の強さ”が示されることになる。

テイエムオペラオー 1996.3.13生 牡・栗毛

競走成績:26戦14勝
主な勝ち鞍:皐月賞、天皇賞(春・秋)
宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念
オペラハウス
1988 鹿毛
Sadler's Wells
Colorspin
ワンスウェド
1984 栗毛
Blushing Groom
Noura