日刊競馬コラム
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日刊競馬で振り返る名馬
エアグルーヴ
(1997年・天皇賞(秋))

◎牝馬隔離政策

 
レース柱(1.16MB)


 今では見る影もないが、「いちょうS=大出世レース」という時代があった。その黄金期が94~96年。勝ち馬は順にヤマニンパラダイス、エアグルーヴ、メジロドーベル。すべて後にGIホースとなっている。

 と同時に、この3頭はすべて牝馬。「いちょうSを勝てる牝馬はGIを勝てる」という時代だった。しかし、翌97年から昨年までの7年間、牝馬のいちょうS勝ち馬は出現していない。というより、そもそもこの7年間で8頭しか出走していない。それ以前の7年間(90~96年)では18頭も出走しているのだから、まったく様子が変わってしまった。

 その原因はファンタジーSの創設(96年)。以後、GI級の2歳牝馬はファンタジーSから阪神JF、もしくは札幌2歳Sから阪神JFに直行というのが主流になった。

 同じような現象が天皇賞(秋)にも起きている。エリザベス女王杯が古馬も含めた牝馬限定戦となったのが(ファンタジーS創設と同じ)96年。これを境に天皇賞(秋)に出走する牝馬がめっきり減ってしまった。具体的には、88~95年の8年間で13頭出走したのに対し、96年~昨年の8年間では4頭だけ。このような、牝馬が牝馬限定戦に隔離されていく時代に、牡馬相手にチャンピオンとして君臨したのがエアグルーヴだった。

 ちなみに、牝馬限定戦では[3-1-1-1]、牡馬相手だと[6-4-2-1]というのが通算成績。牡馬相手に天皇賞を勝ち、ジャパンCで2度も2着していながら、牝馬限定の秋華賞で10着に惨敗(レース中の骨折らしいが)し、阪神3歳牝馬S(当時)やエリザベス女王杯では「取りこぼし」とも言うべき2、3着だった。

 話をいちょうSに戻すと、エアグルーヴの勝ちっぷりは衝撃的、あるいは異常とも言えるものだった。ゴール寸前で騎手が立ち上がりかけるほどの不利を受けながら、ゴールでは楽々差し切っていた。この時点で未来のチャンピオン誕生は確定。その後の輝かしい実績は単なる「結果」に過ぎないとさえ言える。そして、いちょうSの勝ちっぷり以上に我々に衝撃を与えたのが阪神3歳牝馬S直前の追い切り。栗東坂路54秒0-39秒5-13秒1という時計自体は大したことはないが、その動きのスゴさといったらタダゴトではなかった。併せ馬の相手はロイヤルタッチだったが、その迫力は大人と子どもほどの差があった。当時入社2年目。「調教の見方」というものが分かっていなかった私(今でも「分かっている」とは言い難いが)に「走る馬というのはこういうものだ」ということを思い知らせてくれた。

◎馬券ライフの変化

 こういう映像を手軽に見ることが可能になったのは、94年10月に試験放送が開始されたグリーンチャンネルのおかげだった。当時はPAT(電話投票)会員のみが視聴可能で、まだPAT会員ではなかった私は自宅では視聴できなかったが、会社では視聴可能。おかげで「走る馬のフットワーク」を堪能できた。PAT会員の増加、グリーンチャンネル(を始めとする衛星放送)の普及、ついでにこの文章が配信されているインターネットの普及・拡大が競馬専門紙に打撃を与えていることを考えれば喜んでばかりもいられないが、牝馬の競走環境が変化すると同時に、我々馬券購入者の環境も大きく変わり始めた時期だった。

 現在だと、TVチューナー内蔵のPCでグリーンチャンネルを視聴し、HDDに録画。リアルタイムに更新されるJRA-VAN Data Labのデータを駆使した予想をblogで公開。そしてI-PATで投票する(場合によっては投票終了画面をキャプチャした画像をblogにアップロードしたりする)…というような馬券ライフもそれほど特殊ではないだろう。

◎ヨソの子はすぐに大きくなる

 さて、ここから話が一気に極めて私的なものになることをご容赦願いたい。エアグルーヴがいちょうSを勝ったころは気楽な独り者だった私は、彼女が天皇賞を勝つころには扶養家族を抱えており、その1カ月後には扶養家族がさらに増えた(初仔誕生)。私的な余談ついでに記すと、この年の夏にCATVでグリーンチャンネルに加入し、それに附随する“ウラ技”でPAT会員になり、さらに11月には自宅PCで本格的にインターネットに接続するようになっていた。

 その初仔が今年4月に小学生になった。親としては「やっとここまで来た」という感じだが、周囲(親戚・友人・知人)に言わせれば「もう小学校かー」なのである。ヨソの子はあっという間に大きくなる。エアグルーヴの子も「ヨソの子」なのであっという間に大きくなり、初仔アドマイヤグルーヴは昨年、3歳牝馬路線でずっと1番人気を背負い続けた。私は一貫してアドマイヤグルーヴに対して厳しい態度(なんだそれ)を取り続けたが、その背景には「お母さんはこんなもんじゃなかったよ」という気持ちがあった。

 しかし、3歳牝馬限定戦で(1番人気になり続けて)負け続けていながら、古馬混合のエリザベス女王杯を2番人気で勝つあたり、母の面影(の片鱗)はある。思えばエアグルーヴも3歳時は熱発(桜花賞前)やレース中の骨折(秋華賞)など、体質が弱かった。2番仔イントゥザグルーヴもまだ飛節がグラグラ。さらに逆体温になってみたりとやはりヒ弱(未完成)で、「いつ故障するか」と心配していたらホントに故障してしまった。どちらも母の領域に挑戦するのは古馬になってからだろう。ただ、それ以前に牡馬相手の路線を進んでくれるのかどうかが心配だ。余計なお世話だろうけど。

エアグルーヴ 1993.4.6生 牝・鹿毛

競走成績:19戦9勝
主な勝ち鞍:オークス、天皇賞(秋)
トニービン
1983 鹿毛
カンパラ
Severn Bridge
ダイナカール
1980 鹿毛
ノーザンテースト
シャダイフェザー