日刊競馬コラム
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日刊競馬で振り返る名馬
イナリワン
(1989年・有馬記念)

◎刺客の肖像

 
 レース柱(1.14MB)


 記者は、昭和51年日刊競馬入社。以後ずっと地方競馬側で仕事をさせていただいてきた。その間、生きる活力…といったら大げさに過ぎるが、予想生活、馬券生活、そんな上で長く思い続けてきたテーマがある。JRAのエリート馬何するものぞ。地方馬、とりわけ南関東出身馬を、強烈に、おおむねエコヒイキ的に応援すること。思えばそれは、一種コンプレックスからきているかもしれない。まあしかし理由など何でもいい。デビューから一貫、自分の肉眼で見てきた競走馬が、華やかな舞台で大殊勲をあげること。その栄光に“馬券”という形で立ち会えること。何年かに1回、とにかくそんなことがあった夜は、至福の酒がたらふく飲めた。

 イナリワンは、平成元年の5歳春、東京大賞典(当時三千メートル)制覇を手みやげに勇躍JRA入りした。デビューが遅れ南関クラシックは東京王冠賞の一つだけだったが、その3年前ジャパンカップ2着であっといわせたロッキータイガーと同じミルジョージ産駒で、芝にも高い適性がイメージできた。ちょっと見は小柄で華奢。力より技、地方の一流馬としてはむしろ異色。移籍3戦目、環境に慣れ、しかも武豊が乗った天皇賞でその真価をみせている。一気のまくりで4馬身差。その夜知人と飲んだ。相手はどうにも納得できないという表情だった。ダートオンリーの地方競馬にそれほどの切れ者がいるということ。背中を叩いた。もちろん笑顔で。強いものは強いんだから…。記者個人としては、かつてハイセイコーはもちろん、カツアール、ホスピタリティ、サンオーイ…何頭もの活躍で、すでに地方=JRAの壁はファンの頭から崩壊したと思っていたが。

 前置きが長くなった。それから半年、NHKの松平さんではないが、いよいよ「そのとき」がやってきた。グランプリ・有馬記念。イナリワンは天皇賞、宝塚記念と連勝、しかし以後しばらく雌伏のときがある。秋の天皇賞6着、ジャパンカップ11着。当時の状況を含め外国馬との力関係は微妙だが、それにも増してオグリキャップ、スーパークリーク、1世代下のヒーローがずば抜けて強かった。オグリキャップは改めていうまでもなく勝負の鬼、不世出の怪物であり、スーパークリークは伸びやかかつ強靭な体力を持つステイヤーで、イナリワンはその体格からして50キロ以上も見劣った。オグリ=南井、スーパー=武豊のコンビはすでに不動で、イナリワンの鞍上には秋から柴田政人が座していた。12月24日、どんよりと厚い雲がたれこめ、昼すぎからは氷雨さえ落ちてきた。返し馬。柴田騎手はかじかむ手に息を吹きかけながらこう思ったという。「自分が乗ってまだ結果は出ていない。しかし秋初戦の毎日王冠はオグリと鼻差(2着)。持ち味を引き出してやればチャンスはある」。持ち味とは瞬発力と勝負根性。「前に馬がいると、怖いくらいガッツを剥き出しにする、ぼくの最も好きなタイプでした…」。

◎逆転と栄光

 競馬とは常にさまざまなアヤを経て勝負が決する。いや競馬に限らず勝負ごとはすべてそうだが、総合能力1位=勝者で終わる確率は、おそらく50%にも満たないだろう。この有馬記念でいえば、一番強いのはオグリキャップ、一番強い競馬をしたのはスーパークリーク。しかしイナリワンは一瞬のカウンターでこの両者を葬り去った。「オグリはですね…。やはり連戦の疲れでしょうか。直線いったん先頭に立ったけれど体調の面で無理があった。それを目標にしたスーパークリークが抜け出し、そこを死んだふりのイナリワンが…」。ラジオ解説者の口調はあまり歯切れがよくなかったと記憶する。当時この2強に対し、イナリワンはあくまで敵役であり刺客だった。サクラホクトオー、ダイナカーペンターにも譲って5番人気。地方出身馬は、かすかな禍根ですぐ人気低落という傾向があるかもしれない。が、現実には胸のすく逆転だった。快哉。単勝1670円は、その夜の痛飲に十分な資金となった。'89、年度代表馬。そのタイトルに意味があるかどうかはともかく、天皇賞、宝塚記念を含めGⅠ3勝。実績で誰もが投票せざるをえなかった。

 話は少し飛んでしまうが、04、コスモバルクの挑戦はやはり感動的だった。外厩制度など複雑な部分はひとまず置いて、地方競馬スタッフ、馬も人もそのまま移籍なしで頂点をめざせる、そういうルールが確立され、そしていよいよ実践されたこと。来るなら来い、物量豊富なJRA側は受けて立つ度量があって当然であり、一方地方側は馬の能力と個性を生かしながら思い切りよくチャレンジしていく。「僕の腕がなかった。馬は力があるし、今日もよく走っていた」という五十嵐冬樹騎手のコメントは、掛け値なしに清々しく、同時にこれが本当の真剣勝負だとつくづく思う。ただ、これがひと昔前なら…という感傷はやはりある。前述のカツアール、サンオーイは、どちらも高橋三郎騎手(現調教師)のお手馬だった。個人的な想いと断って書けば、あのハイセイコーにしても、デビューの辻野厩舎所属、何より高橋三郎鞍上なら、ダービー、菊花賞、また違った結果が出たのではなかろうか。

◎夢の周辺

 もう一つ余談を書く。種牡馬としてのイナリワンは、ささやかながら成功した。自らと同じ東京王冠賞を勝ったツキフクオーを出したこと。その点ではオグリキャップ、スーパークリークより恵まれたかもしれない。「この馬に(福永)祐一を乗せて淀の天皇賞に出したいんだ」とは、叔父である福永二三雄調教師が再三もらしていた夢だった。ツキフクオーは4歳春、現実にトライアル・日経賞に挑み、石崎隆之騎手鞍上に7着だった。叶わぬ夢。しかし地方びいきの記者には、やはりため息をつきたくなるロマンであった。

イナリワン 1984.5.7生 牡・鹿毛

競走成績:25戦12勝
主な勝ち鞍:
東京大賞典、天皇賞・春、宝塚記念、有馬記念
ミルジョージ
1975 鹿毛
Mill Reef
Miss Charisma
テイトヤシマ
1970 鹿毛
ラークスパー
ヤシマジェット