日刊競馬コラム
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日刊競馬で振り返る名馬
サクラローレル
(1995年・金杯)

 
レース柱(552KB)


 1995年、日刊競馬は6ページとなった。第44回金杯(東)は6ページとなって最初の発行号。左上の見出しは『あけまして6ページ 金杯』だった。当時はまだ東西の金杯が全国発売ではなく、おそろしく紙面に余裕があった。この号ではまだ行われていないが、次の1回東京からは、重賞の「過去3年のゴール写真」が掲載されていたほどである。8ページでも紙面がキツくてどうしようもない現在とは隔世の感がある。なにしろ野茂はまだ(契約上は)近鉄バファローズの選手(MLBデビューはこの年の春)であり、安室奈美恵とMAXはまだスーパーモンキーズ(正式には「安室奈美恵 with スーパーモンキーズ」)であった。

 さて、2004年の正月競馬の日程は1月5、10、11、12日。4日に5日の新聞を作れば、その週の新聞製作に関わる仕事は終了。通常の正月競馬だとトラックマンでさえ金杯当日は競馬場に行けないことが多く、5、6、7日の3日連続開催ともなればテレビ観戦さえ危うくなるのだが、今年は内勤の編集部員でも金杯当日の朝から競馬場に行けるという珍しい日程になっている。

 1995年の正月競馬は1月5、7、8日だった。4日に5日の新聞を作り、次の作りまで1日あくが、当時は今とは違って出走メンバーは競馬前日の朝にならないと確定しない。したがって1月5日は7、8日分の「想定」という作業を行う日だった。そうは言っても3日連続開催とは違い、気持ちにも時間にも余裕はある。金杯は、今は亡き旧社屋でしっかりテレビ観戦した。

 未完の大器と言われ続けたサクラローレルが初重賞勝ち。それは順当なのだが、2着に13番人気のゴールデンアイが突っ込んで馬連36730円。これを田母神記者が◎△で的中した。

 通常の日程だと、ある競馬の結果が直後の紙面に反映されることはないのだが、先に述べたようにこの年は5、7、8日の3日開催。7日付の新聞(6日に製作)に間に合ってしまうのである。そこで当時入社1年目のペーペーであった私に上司命令が下った。『かわら版(当時は6面上/現在は8面上)に何か書け』。
それがこれ↓

 この的中がモノを言い、田母神記者は(本人はえらくイヤがっていたが)フジテレビ『ツイてるやつに乗れ』への出演を果たした。ちなみに出演日のメインレースはニューイヤーS。本命アイリッシュダンスでしっかり的中させて、初のテレビ出演は終了。これをきっかけにスターへの階段を駆け上がる…ことはなかったが、サクラローレルは翌年、天皇賞(春)と有馬記念を制してスターホースの座へと駆け上がり、年度代表馬に輝いたのだった。

 なお、野茂はMLBデビューの翌年(96年)9月にはノーヒットノーランを達成。メジャーのスターへと昇り詰める。安室奈美恵は95年秋からTコムロプロデュースでソロとなり、96年には史上最年少でのレコード大賞受賞。こちらも一気にスターダムへとのし上がった。

サクラローレル 1991.5.8生 牡・栃栗毛

競走成績:22戦9勝
主な勝ち鞍:天皇賞・春、有馬記念
Rainbow Quest
1981 鹿毛
Blushing Groom
I Will Follow
ローラローラ
1985 栗毛
Saint Cyrien
Bold Lady