日刊競馬コラム
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日刊競馬で振り返るGI
クロフネ
(2001年NHKマイルC)

◎芦毛の怪物、でもクロフネ


レース柱(1.23MB)


 「クロフネ」  言うまでもなく、江戸時代末期の日本にやってきたという「黒船」に由来する名前である。2001年は外国産馬へのクラシック開放の年、オーナー・金子真人氏はそのことを意識して、この名前を付けたのであろう。しかし、実際に名前に恥じない走りを見せることになるブルーアヴェニューの仔に、この取って置きの(だと思う)名前を与えたオーナーの炯眼は見事というしかない。現在のビッグレースのほとんどに、自らの愛馬を出走させているのも理解できようというものである。その知名度も抜群で、「あのディープインパクトの馬主も金子真人氏である。」ということは競馬ファンには普通に知られていることであり、むしろ「あの馬も金子さんの馬か」と思うことのほうが多いことだろう。

 話がそれた。クロフネのことである。デビュー戦こそ敗れたが、2戦目の新馬戦、エリカ賞をともに楽勝。桁違いのパワーで他の馬を置き去りにしていくレース内容は、着差以上の迫力を感じさせるに十分だった。そして、クラシックの登竜門ラジオたんぱ杯3歳S(現2歳S)。札幌3歳S(現2歳S)をレコード勝ちしたジャングルポケット、ダービー馬アグネスフライトの弟という超のつく良血馬アグネスタキオンを差し置いての一番人気。結果は敗れはしたものの、今振り返ると将来の皐月賞馬アグネスタキオンとダービー馬ジャングルポケットのワンツーで馬連1510円をつけさせたのは、クロフネに対するファンの期待を象徴するものであったと言えよう。そして、迎えた3歳。大きく成長したクロフネは毎日杯を1分58秒6で完勝。同開催で古馬によって行われる伝統の重賞、大阪杯が1分58秒4、あのテイエムオペラオーの走破時計が1分58秒7であったから、世間の想像通り、いや想像以上のパフォーマンスを見せたと言ってよかった。

 先述したように2001年は外国産馬にクラシックを開放した年である。馬券の売り上げ減退、競馬離れが進むなか、対応策のひとつとしてレースレベルの向上が掲げられた。当然の成り行きであろう。その一貫として、今まで頑なに拒んでいた外国産馬のダービー出走を認めることをJRAは決断した。一世代に一頭だけがその栄誉を勝ち取る競馬の祭典、ダービーに対し強い思い入れを持つ生産者は多い。せめて18頭枠に入るだけでもいいと思う。その枠に踏み込まれることに当然ながら反対の声が上がる。それでも時代の趨勢には逆らえなかった。JRAはNHKマイルC1、2着馬にダービー出走権を与えた。クロフネはその試練に挑むことになった。多くの競馬ファンは開放元年に外国産馬によるダービー制覇を夢見た。この年のクラシックの絶対的な存在と見られていたアグネスタキオンが屈腱炎で引退という白けた空気を吹き飛ばしてほしかった。それにはクロフネは1着では許されなかった。1着、しかも圧倒的な強さを見せて勝つことが義務付けられた。

◎無意味な抵抗、というより勘違い

 私には外国産馬云々ということに関する感慨がまるでなく、こうした盛り上がりにもあまりピンとこなかった。なにしろエルコンドルパサーさえリアルタイムで見ていない身なので、「この外国産馬がダービーを走れば…」などと思う機会もない。それに競馬界を席巻していたサンデーサイレンスに対しても、その産駒は日本産馬でありながら、何か彼らによって日本の競馬が侵略されているようなそんな感覚を持っていた。だからクロフネが外国産馬としてダービーに侵攻と言われても、何を今さらと感じた。過剰人気になったクロフネに対して、むしろ理由のない反発心さえ持っていた。所詮フレンチデピュティ産駒だろう。現代の多くの若者がそうであるように、私も血統から競馬に興味を抱いた。血統から言うと、時を同じくして地方交流重賞で荒稼ぎしていたノボジャックがそうであるように、フレンチデピュティの基本はダート短距離血統である。別にクロフネにダート短距離がベストだと思ったわけではないが、そんな地味な血統の馬がダービーを制するわけがない。NHKマイルCでさえ本当に勝って当然の存在なのかと疑っていた。

 そんな私の穿った、あるいは単純な見方をあざ笑うかのように、クロフネは勝った。2着グラスエイコウオー(これもフレンチデピュティ産駒)との着差は1/2馬身だが、先行馬有利の高速馬場を利して逃げ込みを図るグラスエイコウオーを一歩ごとに追い詰め、ゴール板を過ぎても、そんなもの関係ないよと言わんばかりにのびのびと走り続ける。フジテレビの青島達也アナウンサーがクロフネとグラスエイコウオーの名前を連呼するという、絶叫のような実況を聞きながら見ていた記憶がある。余裕の勝利であった。絶対能力の差を見せつけた。

◎外圧によって変わったもの

 クロフネはダービーを勝てなかった。距離、道悪など敗因はいろいろ言われたが、NHKマイルCから中2週と言うローテーションも厳しかった。決して実力不足ではあるまい。

 その後、クロフネは別の意味で競馬界の常識を打ち破った。ダートで鬼のような強さを発揮し、ジャパンCダートを2分5秒9という異次元のレコードで制覇。本当に強い馬は芝もダートも、マイルも中距離も勝つものという価値観を築き上げた。

 しかし、クロフネ引退後、芝・ダート不問の活躍をしたのはサンデーサイレンス産駒、トゥザヴィクトリーであり、ゴールドアリュールであった。今年のNHKマイルCの登録馬に桜花賞馬ラインクラフトの名前がある。NHKマイルC→クラシックではなくクラシック→NHKマイルC。クロフネとは逆のパターンである。この新たな進路を歩むこの牝馬の母の父はサンデーサイレンス。アグネスデジタルとともに異色の外国産馬としてクロフネが切り開いた道は、天才サンデーサイレンスの血を引くものによって歩まれている。

クロフネ 1998.3.31生 牡・芦毛

競走成績:10戦6勝
主な勝ち鞍:NHKマイルカップ
ジャパンカップダート
French Deputy
1992 栗毛
Deputy Minister
Mitterand
Blue Avenue
1990 芦毛
Classic Go Go
Eliza Blue