日刊競馬コラム
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日刊競馬で振り返るGI
サニーブライアン
(1997年皐月賞)


レース柱(1.23MB)


 今回ここに書くことは、取材をしたものではない。ひと組の母仔に縁あって関わっていたのだが、私にとっては貴重な体験話である。

 ひと味違うオーラを放っている馬がいた。その馬はこちらをジッと見ている。しかしその顔は懐かしくて、見覚えのある顔だった。
「キミはスイフトの仔だね。母ちゃんの面影があるなぁ」
 ほかの馬にも「遊ぼうよ~」と呼ばれたのだが、スイフトの仔からなかなか離れることができなかった。
「スイフトのやつ、とんでもない仔を産んだなぁ」

 スイフト=サニースイフトもデビュー前から知っていて、走るという感触は得ていた。そして2勝したあと

「スイフトはオークス使うぞ」
「えっ。いくらなんでも距離長すぎるでしょ」
「オークスは一生に一度の晴れ舞台や。ダービー2着のサニースワローの妹やからな、使うのは当たり前」

 サニースイフトは抽選で滑り込み出走した。除外された方がいい時に限ってこんなものである。やっぱり案の定、惨敗だった。スイフトはスワローと違って、千二・千四型だった。結局彼女はそのあと長距離戦を使われることはなく、彼女にとってオークスはくたびれもうけ以外に意味はなかった。それでも準オープンまで上がって引退した。

「スイフトの仔が入ってるんだね」
「おお。もう結構乗ってるぞ。あれは走るぞ」
「うん、そう思うよ。どうせならスイフトが入っていた馬房に入れた方がいいと思うけど」。
「あれ、違っとったかぁ?」
「隣の方だったよ」
 中尾銑治調教師と私の間でこの会話が交わされたのが平成8(1996)年の9月のこと。「走る」の詳しい意味はわざわざ言ってもらう必要も、聞く必要もなかった。

 スイフトの仔=サニーブライアンは、それから間もない10月5日の新馬戦でデビューして逃げ切り勝ち。しかし2勝目を挙げるまでは少し時間がかかった。ソエ、道悪、距離不足など理由はいろいろだった。
「走る馬だと思ったんだけどなぁ。ダメなのかな?」
 ある時担当の森田厩務員は言った。
「いやいや、この血統は道悪走らなくても不思議ない血統だから、心配することはないよ」

 上向いてきたのは平成9(1997)年に入ってから。まず年明け1月6日の若竹賞に出走して2着だった。次は中1週のジュニアC(当時2000M)を逃げ切り勝ち。そして弥生賞に出走して3着、皐月賞の優先出走権をゲット。このあとはを意識する必要がある。そこで森田厩務員にはこう言った。
「コイツは大仕事するヤツだからね、大事にしてやってよ」

 ところが弥生賞の翌週のことである。中尾銑師がこう言った。
 「サニーは若葉ステークスを使うぞ」
 青天の霹靂、こんなのまったくの想定外だった。
 「えっ!? なんで?」
 「賞金足りなくてダービーに出られんかもしれんだろ」
 「ダービーの出走権なんか、皐月賞で取れるから心配する必要はない。第一、そんな使い方したら壊れちゃう!」

 もう決めてしまったようで、何を言っても無駄だった。と同時に非常にマズイことになってしまった。折角いい感じできているのに。皐月賞・ダービーを勝つために、きついローテーションの是正を提唱してきた調教師や関係者は何人もいて、それが見直されて弥生賞から皐月賞までは中5週になっていたのに。サニーブライアンには翌年の活躍も期待していたのに。別に期待していたのは私だけではないのに。自分が馬主でないことが悔しかった。

 若葉Sはさすがに1番人気だった。しかし当然ながら4着に敗退。弥生賞は楽なレースではなかったのだから若葉Sは勝てない方が普通。悪いことにこの2戦のダメージの影響は必ず出てくる。これで意識の切り替えを余儀なくされた。もう皐月賞とダービーしかチャンスはなくなった。故障することだって考えなければならない。もうそのあとは出走すらおぼつかなくなっても不思議はない。ダービーのあとのことはあきらめよう。もう一番危惧していたことを避けるのが不可能になってしまった。

 若葉Sの負けで、皐月賞は11番人気だった。大西騎手が「人気よりも1着が欲しい」といつだったか、どこかで言っていたが、私も同感だった。

 サニーブライアンは、道中一度は2番手になったもののハナを切る作戦通り2分2秒0で勝った。直線の入り口からゴールまでが本当に長く感じた。しかし不思議と他馬は目に入らなかった。2着シルクライトニングにはクビ差まで詰め寄られたが…。

 いろいろな人に「サニーは2冠馬だけどフロックだ」と言われた。しかし「皐月賞で逃げ切ったのを見てサニーのファンになった」とか、「闘病中に勇気をくれた」などと話してくれた人たちもいる。それを聞いて短い競走生活にしてしまったのが本当に悔やまれたのだが、サニーブライアンはこういう運命を持った馬だったということだろう。そして、だれがなんと言おうと、私にとってサニーブライアンはかけがえのない馬である。

サニーブライアン 1994.4.23生 牡・鹿毛

競走成績:10戦4勝
主な勝ち鞍:皐月賞、東京優駿
ブライアンズタイム
1985 黒鹿毛
Roberto
Kelly's Day
サニースイフト
1988 鹿毛
スイフトスワロー
サニーロマン