Study!! 天皇賞の歴史
 1905年(明治38年)5月6日、横浜の日本レースクラブが明治天皇から下賜された“菊花御紋付銀製花盛器”を賭けて競った『エンペラーズカップ』が前身。その後、7つの競馬倶楽部で『帝室御賞典競走』を行なうようになり、1937年(昭和12年)に各倶楽部が日本競馬会に統合されたのを機に、春季は阪神、秋季は東京の年2回施行の形に定着した。同年12月3日、東京で行なわれた『帝室御賞典』(芝2600メートル)を第1回として今日に至っている。

 翌1938年(昭和13年)秋から距離は3200メートルに延長。1947年(昭和22年)秋からは名称が現在と同じ『天皇賞』に変わり、春は京都競馬場での施行となった。JRA設立(1954年・昭和29年)以前から天皇賞は古馬最高の栄誉とされ、一度優勝した馬には出走資格が与えられていなかった。そのため、春に比べると秋のメンバーが少し手薄になる年もあったが、1981年(昭和56年)からは過去の優勝馬も出走できるようになった。

 1984年(昭和59年)、競馬番組の変革に伴ってグレード制導入。最高ランクのGTに格付けされ、同時に秋は2000Mに距離短縮された。1987年(昭和62年)からは秋に3歳馬、2000年(平成12年)からは春秋とも2頭以内の外国産馬が出走可能になった。現在、春は4歳以上のbPステイヤー、秋は3歳以上の中距離王、それぞれを決するレースとして位置付けられている。


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