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「不感症・パート1」
1月20日、大井競馬最終日。某スポーツ紙、公営競馬欄のコラムにこうあった。「06ファースト開催の大井競馬は100万円を超える馬券こそ出ていないが、3連単は4日目まで48レース中38レースで万馬券が飛び出す荒れ模様。今日も混戦気配のレースが目白押し……」。おっしゃる通り。わかっていることではあるが、読むと改めてしみじみ思う。3連単は難しい。3連単は当たらない――。実際その日(最終日)を加えた結果はどうか。60レース中47レースが万馬券。全体の約8割だから、難しいに決まっている。
ここ数年のこと。競馬場で出会う友人、知人、どこか憂鬱な会話が増えた気がする。「当たりませんな」 「難しいですよね」 「どうしてこんなに荒れるのかしら」 「もう私、競馬やめようかと思って…」。そう言いつつ翌日すぐ現われたりするから心配無用だが、 苦笑いの表情は変わらない。「一日競馬場にいましてね。払い戻しに行くのは一回あるかどうか。昔は違った。半分近く当たってました。今の競馬は難しすぎる…」。その知人、仮にNさんとしよう。アイズチは礼儀だから打つけれど、N氏不振の理由は実ははっきりわかっている。高望みと不感症だ。
戦い過んで居酒屋談義。N氏は現在、3連単が自分の主力馬券だと熱弁した。この馬券、どうやら(やはりか)不動の主流に昇ったらしく、通常、馬単の3倍強、全売上げの50%近くを占めている。高望み、不感症とはそういうこと。1着から3着までを完璧に当てにいく。そもそもこれは人智を超えるチャレンジであり、ギャンブルとしては成立しにくい。どなたも覚えがあると思う。堅そうなレース。なるほど1、2着は力通りの決着でも、3着はきまって人気薄が飛び込んでくること。馬連、馬単でいいじゃない…。むろん筆者が言えることでもなく、言葉はグッと飲み込み、熱燗だけノドを通した。
データ不足は承知で、大井1開催(1月16〜20日)だけの事実を書く。全60レース中、30レースに1番人気がからんでいた(2着以内)。きっちり5割。この数字をどうみるかは微妙だが、筆者の感覚からはけっして悪くもないと思う。結局、馬券のセレクト、買い方が、勝ち組と負け組を分けている。例えば恐ろしく荒れた印象のある20日(最終日)でも、仮に“枠連複”なら、12レース中10レースが3000円以下。万馬券となるとただ1つ、“10670円”しか出ていない。競馬自体の罪ではない、そちらが現実。繰り返すが、ここが昨今競馬ファンの「不感症」であると思う。
もっとも、3連単を見事ゲットしたときの爽快感と征服感。N氏の3連単至上主義はよくわかる。ワンツースリー、狙って獲れば究極のファン冥利。元より導入時の筆者など、いよいよ自分の時代が来た…身のほど知らずで何やら胸が高鳴った。が、情けないこと。ほんの3か月でホールドアップ。3連単は手に負えない、勝ち目がないとわかってしまう。予想の難しさはもちろん、とにかく潤沢な軍資金が必要だった。例えば、厳選した(つもりの)4頭ボックス、それでさえ24点。1頭追加して5頭なら一挙に60点と網が広がる。1点500円計算で1レース3万円。自称・出版社社長、ある種お殿様のようなムードを持つN氏でさえ厳しいのに、記者など続く道理がない。
「3連単の功罪」をもう一つ書く。高配当的中、その感動やら記憶やらが薄くなった。馬券下手を白状するようで恥ずかしいが、かつて8枠連複しかない時代、記者は2度しか「万馬券」を獲っていない。ただ2度ともレース名、馬名、枠番、すべてはっきり覚えている。たぶん死ぬまで忘れまい。馬複ができ、馬単ができ、3連単ができ、最近はヘボ馬券師の記者でさえ、“しばしば”万馬券を獲っている。ただし、感動と記憶がないのだ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる――。「え? 枠連のときは2回だけ。うーんそんなもんなんですか。安心しました。私は確か3回獲った」。笑顔になったN氏はそこでもう一杯と注文し、最後は記者と握手で別れた。
“暗い記憶”になるのかどうか、恥ずかしついでにもう一つ自分のこと。3連単は当然ながら、馬単、馬複、まるでカスリもしない時期(周期的によくあります)、“ワイド10番勝負”というやつを試みた。紙面ヨシカワ◎○を全レース前売りワイドで購入、あとはベンチに座り文庫本など耽読する。当てよう、儲けようではなく、防御の姿勢がイジらしい(?)。結果はそう悪くもなく、回収およそ80%。ただ、しばらくしてそれはやめた。某先輩(少しだけ尊敬している)と飲んでいてこう言われた。「ヨシカワくん、それで君はホントに面白いの?」 確かにまったく面白くない。競馬場に来ている以上、やはりファイティングポーズが、最低限の礼儀であり矜持だった。
「有力馬が2頭組んだ8枠は軸として相当堅い。7枠2頭も好調で、ここは7―8、力いっぱい一本勝負」。その昔、しばしば紙面にそんな文章を書き、またそれを実践した。ドキドキした。今の3連単などより、少なくとも観戦の緊張度が違っていた。ルーレットに落とされる玉、それが赤であるか、黒であるか。息をのむ。その夜の飲み代どころか、1か月の生活がかかっていた。3連単はある意味、クイズ的、宝くじ的で、外れちゃって当たり前。だから、そもそもギャンブルとは性格が違うのかもしれない。ヘボ馬券師(気取り)のノスタルジー。まあもちろん、後戻りしたいとも思わないけれど。
この原稿、当初、「不感症」について2題書く予定だったが、ずるずる長くなっしまい(いつもそう)、次回へ宿題とさせていただく。今度は、泣き言、堂々めぐりにならないよう気をつけます。
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 吉川 彰彦 Akihiko Yoshikawa |
本紙解説者、スカパー!・品川CATV大井競馬解説者、ラジオたんぱ解説者
常に「夢のある予想」を心がけている、しかしそれでいてキッチリと的中させるところはさすが。血統、成績はもちろんだが、まず「レースを見ること」が大事だと言う。その言葉通り、レースがある限り毎日競馬場へ通う情熱。それが吉川の予想の原点なのである。
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