日刊競馬コラム
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日刊競馬で振り返る名馬
メジロラモーヌ
(1987年・エリザベス女王杯)

◎タテ題字

 
 レース柱(879KB)


 今回ご覧いただく紙面は、ファンの方にはなじみの薄いものかもしれない。1984年(昭和59年)から3年間だけ採用となったタテ書きの『日刊競馬』。オレンジを強調した色使いで、それまでのイメージを一新するものだったが、1987年(昭和63年)からの大型版化を前に、試行錯誤の時期でもあった。

 しかし、1986年(昭和61年)は、どちらかといえば変革が好まれない時代だった。7月の衆参同日選挙で自民党が圧勝。国民は現状を支持して、中曽根康弘総裁の任期延長も決まった。急激な円高に泣いた業種はあったが、個人消費は安定傾向で、中流意識が浸透した“そこそこの”幸福感。そして、かくいう筆者自身、まるで時間が止まっているかのような1年間を送った。

◎共通一次世代

 国立大学は4月から独立法人となった。入学年次で決まる年間授業料はついに50万円を越え、私立大学との格差も平均で2倍程度にまで縮まった。もはや学費の安さが決定的な長所とはいえなくなりつつある。東大や京大はともかく、目立つ売り物のない大学は厳しい生き残りの時代を迎えている。

 86年当時、筆者は東京都下の教員養成系大学に在籍していた。気に入っていたのは、居住できるほど快適な“サークル長屋”、実家から自転車で5分という“日本一の近さ”、年間25万2千円の“低料金”。物価が倍になったわけではないので、今と比べればかなり安かった。アルバイトで稼げば、自分で学費を払っても小遣いに困ることはなく、メシもネグラも一切心配なし。22歳が遊ぶ条件はすべてそろっていた。この年は「レース場に心置きなく通いたい」というデタラメな理由で留年を決め、2回目の2年生だった。 

 少し言い訳させてもらうと、筆者が特別にダメ人間だったわけではない。韓国でいう368世代(現在30代、60年代生まれ、80年代に学生生活)は、日本では共通一次世代に当たる。学園紛争は遠い昔話で、事件らしい事件は何も起こらず、いたって平穏なキャンパス。ホンワカした世相も影響したのか、当時の大学には留年生は珍しくなかった。一方、隣国は軍人クーデターを経た全斗煥政権。戒厳令、外出禁止令。ケタ違いの受験戦争、受け入れざるをえない徴兵制。80年代の学生デモは死者が出るほどの激しさで、86年10月には反政府運動で大規模な大学籠城があった。必要は発明の母。環境は人を作る。筆者とて韓国で生まれ育てば考え方が変わっていた…かもしれない。

 日本の368世代、あるいはヨーロッパ(468)世代は、いわゆる“オタク”を大量に生んだ。生活から乖離したサブカルチャーに対する異常なまでの関心。緊張感が乏しいせいか、知識欲の方向が実学から離れやすかった。また、どうしても子供っぽいところが残ったのも特徴。現在一線級で活躍しているこの世代の評論家や学者を何人か挙げてみれば、納得できるだろう。

 実体験からしても、80年代の日本の状況はオタクの発生に間違いなく影響している。何しろ、このサイトのプロデューサーである通称・J中野(電算室所属・69年生まれ)からして、当社きっての二次元系アニメオタクである。

◎ラモーヌの真価

 そんな86年、メジロラモーヌは史上初の牝馬三冠(当時は桜花賞・オークス・エリザベス女王杯)制覇を達成している。この年の牝馬路線は、終始ラモーヌの独り舞台だった。前年の3歳時、重賞勝ちは12月のテレビ東京賞3歳牝馬S(現在のフェアリーSの前身、当時は芝1600M)だけながら、すでに「クラシックの最有力候補」と高評価。1月のクイーンCこそ4着と不覚を取ったが、それから何と重賞6連勝を飾った。今思い出しても、強いことは強かった。

 ただ、見方によっては変化に乏しく面白みに欠けていた。1983年(昭和58年)のミスターシービー、84年のシンボリルドルフから間がなく、ファンが“三冠慣れ”していたことで目新しさが今ひとつ。強力なライバルが不在で、レース自体の盛り上がりが不足ぎみ。GⅠの2着馬はいずれも5番人気以下で、決して堅くはなかったのだが、オークス以降は何となくマンネリ感が漂ったのも否定できない。86年は牡馬クラシックが波乱続きだっただけに、穴党にとってはなおさらだった。

 エリサベス女王杯ではスーパーショットに意外なほど差を詰められて、最後の一戦となった有馬記念は完敗の9着。「牡馬相手じゃ、こんなもんだよ。トウメイやテスコガビーの方が上かなあ」。今となっては、女傑エアグルーヴを筆頭に、昨年(2003年)の三冠馬スティルインラブなども登場して、少なくとも最強牝馬とは呼ばれなくなった。

 率直なところ、メジロラモーヌは強いかどうかでは一番ではないだろう。その時代における記録的な価値も、必ずしも傑出しているとはいえない。しかし、だからこそ、この馬にある種の凄みを感じている。

 トライアル全勝。三冠をすべて勝ったのも立派だが、『前哨戦・本番6連勝』こそ、真に不滅の金字塔である。

 現在、主力馬は桜花賞からオークスに直行するケースが多いのはご存知かと思う。GⅠを狙うには、余計な消耗は避けたいのは人情。だが、陣営はあえてすべてのトライアルを使った。同年齢では、ダイナアクトレスがまだ本格化手前。確かにメンバーに恵まれていた面があったとはいえ、特に勝つ必要のないレースまで全部制して、メジロラモーヌという存在を一層際立たせている。もちろん、賞金を稼ぎながら。したたか。レベルうんぬん以前に、なかなかマネのできる業ではない。

 “メジロ”といえば、天皇賞、そして障害。クラシックの華やかさとは無縁でも、ステイヤーとジャンパーを育て、堅実な経営が特徴だった。もちろん、ダービーやオークスを軽視していたのではない。メジロオー、ボサツ、カーラ、モンスニー…。あと一歩届かずに、先代の北野豊吉氏は亡くなっている。機が熟すのに、86年まで待たねばならなかったということだ。それを証明するかのように、同期デュレンが菊花賞を勝ち、マックイーン、ドーベル…。ラモーヌが死力を尽くてを作った道を、後輩達が駆け抜けて行った。

 6連勝目のエリザベス女王杯で一杯になったのは当然。いや、予定通りだったのかもしれない。有馬記念出走は余禄。2番人気は少々酷だった。そして結果がすべての勝負の世界。あの使われ方がサラブレッド・メジロラモーヌにとって最善だったのだ。

メジロラモーヌ 1983.4.19生 牝・青鹿毛

競走成績:12戦9勝
主な勝ち鞍:
桜花賞、オークス、エリザベス女王杯
モガミ
1976 青鹿毛
Lyphard
ノーラック
メジロヒリュウ
1972 鹿毛
ネヴァービート
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