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高松宮杯口取り 題字
GI復刻版 1996年5月19日
第26回高松宮杯
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馬柱 ◎不思議な偶然◎

 高松宮記念を担当することになり、まず、どの年のことを書くかを決めなければならなかったが、千二のになってからを思い起こして、最も印象に残っているのはその大きく条件が変わった最初の年。ナリタブライアンの参戦が大きな話題となり、フラワーパークが勝った年だ。

 高松宮記念(今年は3月27日)の1週前にはこの原稿を仕上げなければならない。そのまた1週前の日曜夜8時に、グリーンチャンネルでナリタブライアンの「栄光の名馬たち」をやるらしい。忘れかけている高松宮杯を見直せるからちょうどいい。そう思っていた。

 すると「栄光の名馬たち」当日の日曜(3月13日)、阪神競馬には、9Rにフィレンツェ、11Rにフローラルパレス。2頭のフラワーパークの子供が出てきた。

 (フィレンツェは見るからにフラワーパークに似ている。ずっと二千メートルくらいの距離で勝ちあぐねていたが、今回は千四。距離が短くなるという理由だけで馬券を買った人も多かったのではないだろうか。単勝当たって良かったですね。)

 さらに夜、「栄光の名馬たち」で1着スターマン、2着ナリタブライアンの京都新聞杯も見たわけだが、そういえばその日の中京の最終レース、1着がスターマンの仔ナゾ、2着がナリタブライアンの仔エリーナだったような。

 偶然だけど、やっぱり不思議だ。

◎入場人員レコード◎

 中京に、ナリタブライアンがやってくる。ファンは集まった。

 「15時現在、71,549名、中京競馬場の入場人員レコード、達成されています」スタート直前、実況のアナウンサーが言っている。

 大歓声の中、レコードタイムで他馬につけいるスキを与えなかったのはフラワーパーク。完勝だ。

 ナリタブライアンは後方から差を詰めて4着。

 3冠馬ナリタブライアンの1200メートルへの出走には批判的な声が多かったが、この時のナリタブライアンの走りは大好きだ。股関節炎から復帰した5歳秋以降、ゴール前でしぼんでしまうようなレースを続けていたナリタブライアンが、久々に見せた活気のある走りだったように思う。当時そう思ったが、9年経ってもう一度見て、またそう思った。

 ナリタブライアンほど極端な形ではないが、今年も、別路線、フェブラリーSでダート馬になったメイショウボーラーの参戦が注目を集める。

〔田母神 豊〕

☆第26回高松宮杯優勝馬☆
フラワーパーク 1992. 5. 8生 ・鹿毛
ニホンピロウイナー
1980 黒鹿毛
スティールハート
1972 黒鹿毛
Habitat
A.1.
ニホンピロエバート
1974 鹿毛
チャイナロック
ライトフレーム
ノーザンフラワー
1977 鹿毛
ノーザンテースト
1971 栗毛
Northern Dancer
Lady Victoria
ファイアフラワー
1972 栗毛
Dike
Pascha
5代クロス Hyperion 5x5 Lady Angela 4x5
 



馬主………吉田 勝己
生産牧場…平取・高橋 啓
調教師……栗東・松元 省一

通算成績 18戦7勝[7.2.1.8]
主な勝ち鞍 高松宮杯(1996年)
スプリンターズS(1996年)

受賞歴 JRA賞
最優秀父内国産馬(1996年)
最優秀短距離馬(1996年)

全成績はこちら


1996年5月19日
第26回高松宮杯(G I) 中京・芝1200m・良
[7]10フラワーパーク牝555田原 成貴1.07.4
[8]13ビコーペガサス牡657横山 典弘2.1/2
[5]ヒシアケボノ牡557角田 晃一
 上がり 45秒3−34秒3
単勝 560円  複勝 150円 160円 110円
枠連 7−8 920円 馬連 10−13 1540円  
1967年に始まった「中京大賞典」が前身。当初から中京芝2000m。
1971年、高松宮殿下に優勝杯を賜ったのを機に名称を変えて「第1回高松宮杯」が行なわれる。
1984年、グレード制導入でに格付け。
1996年、短距離路線の改革に伴い、2000mから1200mに距離短縮されると同時に別定から定量に格上げ。施行時期も7月から5月に変更。
1998年、レース名が「高松宮記念」になる。
2000年、施行時期が5月から現在と同じ3月に変わる。