HOME > 日刊競馬で振り返るGI > 1996年フェブラリーステークス
 
フェブラリーステークスゴール前 題字
GI復刻版 1996年2月17日
第13回フェブラリーS
馬柱をクリックすると別ウインドウで開き大きな馬柱を見ることができます。
馬柱  今さらの話だが、日刊競馬地方版、そこで予想と能書きを書かせていただく記者は、常に地方馬(南関東)の方に大きく気持ちが傾斜している。とりわけ交流レースはそう。明らかに分が悪い、そんなケースでも、予想と馬券は負けを承知で一直線。気がつくとおおむねヒイキの引き倒しになっている。だからJRA馬は、大体の場合“敵役”だった。ただ、本編ホクトベガに対する想いは少し違う。最初はむろん地方ダートを蹂躙する悪漢で、しかし最後は同士であり朋友であり、むしろ女神…。それほど想いが変化した。

 ホクトベガは、この年ダート交流重賞8連覇を果たしている。JRA=地方交流、その黎明期。たぶんに未整備であったとしても未曽有のできごと。H7年、ライブリマウントが現われ、フェブラリーS、帝王賞、南部杯、ビッグタイトルを独占した。そのライブリを、彼女は翌春川崎記念でねじ伏せ、あっさり引導を渡している。絶対能力が高く、エリザベス女王杯制覇など選択肢が広かったから、今思えば陣営にも迷いがあった。ともあれ、ここでふっ切れた、基本路線が決まったのは幸いだったろう。芝も走れる、しかしダートではそれこそ鬼神のような強さをみせた。

 朝から降っていた雪が夕刻になって激しさを増した。すでにコースは薄暗く、照明が灯っていたように記憶する。購入窓口。川崎記念を目の当たりにしている記者は、そのオッズが何とも意外で、3番人気=単4.6倍、ならそれ一本でいこうと思った。ビッグショウリ、アドマイヤボサツ…明らかに次元が違う。ただその後情に流され、買い足してしまったとあたりが何とも甘い。当時南関のスターであり、個性派だったアマゾンオペラ(船橋)、ヒカリルーファス(大井)。粉砕された。4コーナーひとまくり。ことダートにおける彼女の走りは、およそ容赦というものがない。圧倒的を大きく超え、暴力的という言葉が似合う。「馬が強い。ダートでは最強でしょう。乗り方としてはまるっきり雑でした」(横山典騎手)。仕掛けてはいない、手綱を解き放つ、それだけの騎乗で直線は独走した。本来テクニシャンであるはずの典ジョッキー、嬉しい苦笑だったかと今は思う。

川崎記念ゴール前  敵役から同士、朋友、さらに女神…。冒頭にそう書いた。いずれにせよホクトベガの競走生活は、9番人気で制したエリザベス女王杯ではなく、このフェブラリーSが大きな転機、ハイライトだったと断言できる。繰り返すがダート交流重賞黎明期である。船橋(ダイオライト記念)に呼ばれ、高崎(群馬記念)に呼ばれ、岩手(南部杯)に呼ばれ、さらに大井(帝王賞)に呼ばれ、それをことごとく力走した。厳しいローテーションの中、7つの競馬場を駆けめぐり、待っている地元ファンの期待を、一度として裏切らなかった事実がある。心底凄い。平成8年、ダート交流重賞最終戦となった「浦和記念」。京浜東北線・南浦和駅、ウイークデー水曜日にあれほどの観衆が押しかけたのは空前絶後。ミニとかプチとか注釈をつければ、かつてのハイセイコーにも似ている。わかりやすい強さ――明快でひたむきな走りが、観戦者の心を、いつも強烈に惹きつけて離さなかった。

川崎記念口取り  ホクトベガは、そのレースぶりに迫力がありすぎ、愛されるというより、畏怖される、畏敬される、そんな存在だったかもしれない。横山典騎手はこういった。「彼女の強さ? 生命力と回復力。こんな馬見たことない、何度も驚かされました」。テレ性なのか、通常そっけないコメントが多い同騎手が、この馬には最敬礼をしたのである。シュプレヒコール、大応援の中ドバイへ向かった。が、あろうことか故障、競走中止。競走生命ばかりか、その“いのち”さえも奪われた。だからどう誰を非難するものでもない。ただ、当時の「優駿」などをめくり返したりすると、やはり感傷の方に思いが向かう。「今後はすべてオーナー、調教師さんにお任せしています。母馬になるにしてもまだこちらは寒いし、北海道に来るのなら4月がベスト。もうしばらくはレースで期待できると思います(笑)」(生産者・酒井公平氏)。フェブラリーS、圧勝直後の談話である。それからおよそ1年後のアクシデント。文中の(笑)が、今読むとなおさら悲しい。

 3年前だったと記憶する。5月5日「群馬記念」観戦に高崎競馬場へ出かけた。入場門をくぐってすぐ、正面スタンドに隣接した中2階、高崎競馬メモリアルゾーンというような一室がある。上がってみると、そこにはホクトベガ圧勝のワンショット、優勝レイなど、地味ながら、しかし何とも大切そうに展示されていた。H8年、ホクトベガはこのレースを千五1分33秒6、とてつもないレコードで勝っている。写真を食い入るように見つめていた若いカップル。感慨深げにため息をついていた年配ファン。その高崎競馬場も、昨年末、80年の歴史に幕を閉じた。諸行無常。ホクトベガを同胞、女神と、ここで改めて書いたのは、ひとつそういうわけでもある。
〔吉川 彰彦〕

☆第13回フェブラリーステークス優勝馬☆
ホクトベガ 1990.3.26生 ・鹿毛
ナグルスキー
1981 鹿毛
Nijinsky
1967 鹿毛
Northern Dancer
Flaming Page
Deceit
1968 黒鹿毛
Prince John
Double Agent
タケノファルコン
1982 黒鹿毛
フィリップオブスペイン
1969 黒鹿毛
Tudor Melody
Lerida
クールフェアー
1978 栗毛
イエローゴッド
シャークスキン
5代クロス なし
 



馬主………金森森商事(株)
生産牧場…浦河・酒井牧場
調教師……美浦・中野 隆良

通算成績 42戦16勝[16.5.4.17]
中央[8.5.4.16]
地方[8.0.0.0]
海外[0.0.0.1]
主な勝ち鞍 エリザベス女王杯(1993年)
川崎記念(1996、1997年)
帝王賞(1996年)
南部杯(1996年)

受賞歴 JRA賞
最優秀ダートホース(1996年)

NARグランプリ
特別表彰馬(1996年)

全成績はこちら


1996年2月17日
第13回フェブラリーS(G II) 東京・ダート1600m・良
[3]ホクトベガ牝757横山 典弘1.36.5
[3]アイオーユー牝755小野 次郎3.1/2
[7]13スギノガイセンモン牡657岡部 幸雄2.1/2
 上がり 49秒3−37秒0
単勝 460円  複勝 220円 660円 370円
枠連 3−3 6970円 馬連 4−5 6910円  
1984年〜93年まで、GIIIのハンデ戦で、レース名はフェブラリーハンデキャップ。
1994年〜96年まで、GIIの別定戦でレース名も現在のものに変更される。
1997年以降、現在のGI定量戦で施行される。