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馬 題字
特別復刻版 1969年4月13日
第29回桜花賞
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馬柱 ◎日米安保と柏鵬戦

 1960年(昭和35年)といえば、日米新安保条約を巡る一連の騒動だろう。デモ参加者と警官隊の衝突、樺美智子・東大生の死。その煽りを受け、6月のアイゼンハワー米大統領の“訪日”が中止になった。同大統領は沖縄には訪れているが、当時は返還前。そういう時代だった。岸信介首相が退陣して、7月に池田勇人内閣が誕生。浅沼稲次郎・社会党委員長が刺殺されたのも、この年の10月である。また、テレビ普及率は前年の2倍近くになり、ラジオに代わる放送メディアの主役としてはっきり認知されるようになった。

 スポーツ界に目を転じると、競輪の後楽園ダービーと川崎オールスターを吉田実(香川)が制覇。プロ野球は、セ・リーグで読売ジャイアンツの6連覇を阻止した大洋ホエールズ(前年まで6年連続最下位)が、西本幸雄監督率いるパ・リーグの大毎オリオンズを日本シリーズで4タテ。打線の弱さを“三原魔術”とエース秋山登の奮闘で補い、奇跡と呼ばれた一変劇を演じている。

 ローマ五輪では男子体操が団体で金メダル、小野喬が鉄棒と跳馬の個人二冠。柔道日本一は神永昭夫、バレーボール女子は大松監督の日紡貝塚の独壇場だった。

 もうひとつ、忘れてならないのは、1月場所における柏戸・大鵬の初対決だ。“名人”栃錦、“土俵の鬼”初代若乃花、“大阪太郎”朝汐の3横綱。しかし、球界の超新星・長嶋茂雄を横目に、角界もテレビ時代にふさわしいヒーローの誕生を待っていた。そんな中、新入幕の前頭13枚目・大鵬が初日から11連勝、そのストッパーとして12日目に登場したのが小結・柏戸であった(下手出し投げで柏戸の勝ち)。ともに次代を担うべく登場した長身力士で、大鵬19歳・柏戸21歳と弾ける若さ。当日の蔵前国技館の興奮度は「戦後随一」とまで評されている。以後37回にわたる柏鵬戦(大鵬の21勝16敗)は、1960年代の大相撲の醍醐味とさえいえ、その端緒となったこの初対戦を大相撲の昭和名勝負ベスト10に入れる事情通もいる。

 当時の熱気に、資料やビデオで接するたびに思う。60年代に、一好角家として相撲を観戦したかった。何しろ小結と平幕の一戦が40年以上も経て語られているのである。

馬 ◎ハイレベルの世代

 60年の競馬の英雄は、もちろん皐月賞とダービーを勝ったコダマ。もっとも、年度代表馬になったこの年より、生年の1957年(昭和32年)の方がコダマを位置付ける上では重要かもしれない。

 サラブレッドの生産頭数が1000頭を切っていた時代。その少数の中から、57年生まれには、オンスロート(天皇賞・有馬記念優勝)、タカマガハラ(天皇賞馬)、ヤマニンモアー(天皇賞馬)、スターロッチ(有馬記念馬)、ホマレボシ(有馬記念馬)、シーザー(天皇賞2着2回)など、異世代の馬と戦って結果を残した強豪が目立って多かった。57年組の上位レベルは、前後数年と比べて明らかに高い。

 宝塚記念を勝ったくらいで、古馬になってからは同期の俊英達ほど活躍は華々しくないが、コダマはクラシックで堂々二冠。当時のダービーは現在以上に競馬界最高のレースであり、世代最強かどうかはともかく、コダマは世代を代表する馬には違いない。しかも、三冠を逃した菊花賞は、万全とはいえない状態で5着。もし完調だったら、との悔いは残った。そして、この時の武田師の苦い経験は、4年後のシンザンの三冠獲りに生かされることになる。

 2400Mのダービーは制しているものの、菊花賞の後に出た有馬記念は6着。その後は2000Mを超えるレースには出ていない。5歳以降は浅屈腱炎に泣いたのは確かだが、コダマの真価は2000M以下で発揮されたのは事実。武田師に「カミソリ」と言わせたレースぶりと栗毛の好馬体からも、鋭いバネがそのイメージとして強い。やはり中距離の名馬だったといえよう。

馬 ◎9年後

 時は流れ、1969年(昭和44年)。プロ野球はONを擁する読売が日本シリーズ5連覇を決めた。速攻相撲で人気を集めた横綱・柏戸は、7月の名古屋場所でついに引退。横綱・大鵬は当時歴代2位の45連勝をマークし、優勝は30回に達した。その栄誉をたたえ、日本相撲協会から一代年寄「大鵬」の名跡を贈られている。1972年(昭和47年)の沖縄返還が正式に決定。70年安保を翌年に控え、東大安田講堂の攻防など、大学紛争は最終局面を迎えていた。

 今回ご覧いただく紙面は、コダマの代表産駒・ヒデコトブキが勝った69年の第29回桜花賞当日版である

 ヒデコトブキの馬主・伊藤英夫氏の父は、コダマの馬主・伊藤由五郎氏。コダマの母・シラオキ、ヒデコトブキの母の母・ミネノタケは、ともに先代の由五郎氏の肝いりで鎌田牧場に預けられた馬だった。ヒデコトブキは、いわば伊藤親子と鎌田牧場が長年手塩にかけて育て上げた血統の集大成。豊かなスピードと切れ味を受け継ぎ、晴れの舞台で花開いた。

 世は変われども、あの華麗なコダマは確かに甦ったのだった。

〔田所直喜〕

☆1960年度代表馬☆
☆顕彰馬☆

コダマ 1957.4.15生 牡・栗毛
ブッフラー
1952 栗毛
Prince Chevalier Prince Rose
Chevalerie
Monsoon Umidwar
Heavenly Wind
シラオキ
1946 鹿毛
プリメロ Blandford
Athasi
第弐スターカップ ダイオライト
スターカップ
 

馬主………伊藤由五郎
生産牧場…浦河・鎌田牧場
調教師……京都・武田文吾

通算成績 17戦12勝[12.2.1.2]
主な勝ち鞍 阪神3歳S(1959年)
皐月賞(1960年)
ダービー(1960年)
宝塚記念(1962年)


1969年4月13日 第29回桜花賞 阪神 芝1600m・良
[4]ヒデコトブキ牝455久保敏文1.36.6
[3]トウメイ牝455高橋成忠1/2
[8]18セプターシロー牝455増沢末夫