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馬 題字
特別復刻版 1962年12月23日
第7回有馬記念
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馬柱 ◎(特)とは
 大井から中央に来た大物といえば、知名度でまずハイセイコー、実力・活躍度でイナリワンあたりだろうか。
 オンスロートは、彼らの大先輩にあたる。1959年(昭和34年)の7月に大井でデビュー。中央競馬に移籍後、14戦して着外はわずかに1回だった。
 当時、地方からの転入馬は(特)と表記された。記号の意味は「地方競馬及び外国の公認競馬に出走した馬」。その後、1971年(昭和46年)に活馬の輸入が自由化された時に、地方競馬出身は(地)、外国産馬は(外)、輸入される妊娠馬の持ち込み馬は(持)となった。
 なお、現在の持ち込み馬は競馬番組上では内国産馬と同様に取り扱われている(1984年・昭和59年以降)。つまり、(混)ではないレースにも出走可能だが、71年から83年までは(外)馬に準じる扱いだった。その制度に泣いたのが、ご存知マルゼンスキーである。ちなみに、自由化以前の持ち込み馬は、クラシックにも出ている。1957年(昭和32年)のダービー馬ヒカルメイジが代表格だろう。
 今回掲載の紙面でオンスロートの馬名上に(特)の記号はない。現在なら許されないことだが、まだ競馬会の成績でも記載が徹底されていなかった時代。ご容赦願いたい。

◎同期のライバル
 オンスロートは青森県の青森牧場で生まれた。父・カネリユーは持ち込み馬・ミルトンの仔で、札幌3歳Sの勝ち馬。他の主な産駒に、1964年(昭和39年)の桜花賞・オークスを勝ったカネケヤキがいる。母・ヤハギ(父・クモハタ)は1勝馬だが、母の母・ウメヨシはバイホウ、リユウゲツなど障害重賞勝ち馬を送り出した。
 とはいえ、ハイセイコーやイナリワンと比べれば地味な血統には違いない。大井の田中九兵衛厩舎に所属することになったオンスロートにとって、その実力を証明するには勝ち続けるしかなかった。59年、3歳時に12戦11勝で平和賞、全日本三才優駿を制覇。翌1960年(昭和35年)は一時不振に陥ったが、11月、秋の鞍(現在の東京大賞典の前身)を勝って、1961年(昭和36年)、中央に乗り込んできた。
 大井の同期にタカマガハラという馬がいた。地方時代は14戦3勝で、平和賞7着、全日本三才優駿3着。オンスロートに比べるとはるかに格下だったが、父がダービー馬のクリノハナ、母系も優秀とあって、一足先に中央入りしていた。コダマが勝ったダービー(60年)では22着と惨敗したものの、抜群の芝適性を生かして本格化。61年には春の東京盃、東京記念を連覇するまでに成長していた。
 両者の中央初対決は、11月23日、天皇賞・秋だった。充実著しいタカマガハラがオンスロートを1/2馬身差で降し、続く有馬記念もタカマガハラ2着、オンスロート3着。

馬  中央では立場逆転――。しかし、オンスロートが本領を発揮するのは、1962年(昭和37年)に入ってからである。
 まず、天皇賞・春で優勝。この時はタカマガハラが不在だったが、
中央3度目の対戦となった7月8日の日本経済賞で、61キロのオンスロートが60キロのタカマガハラに雪辱している。
 そして、暮れの大一番・有馬記念。冒頭の紙面でも分かるように、雰囲気はオンスロート断然になっていた。秋2戦のオープン勝ちを含め、ここまで5連勝中。勢いはとどまることを知らなかった。一方、タカマガハラは9月16日の毎日王冠(4着)の後、アメリカに遠征。11月12日のワシントンDCインターナショナルに出走した。13頭立て10着。日本馬として初参加、壮行会を行なって勇躍旅立ったが、世界の壁は厚かった。遠征疲れに加えて、帰国後の長い検疫所生活。調整の遅れが心配されたこともあって、オンスロート、エムローンに続く3番人気に甘んじた。
 終始好位を進んだオンスロートとタカマガハラ。しかし、直線では勢いの差が出る形になった。1馬身3/4。単勝170円、連単5→3は740円だった。アサリユウ以下、はえ抜きの中央馬11頭は、2頭の(特)馬の前にひれ伏した。
 オンスロートは6連勝のまま、これが最後のレースとなった。タカマガハラは翌1963年(昭和38年)1月に1走(AJC盃4着)の後、やはり引退している。

◎赤間師とオンスロート
 オンスロートやタカマガハラの中央での活躍は、大井の誇り、地方競馬の誇りでもある。
 地方時代、オンスロートに騎乗していたのは赤間清松騎手。ジョージモナーク、ハシルショウグンを管理した現調教師で、来年で古希を迎える大井の名伯楽である。その赤間師が、往時を懐かしむように栗原正光氏(元日刊競馬・小林TM)に語ったことがある。
「全速になると姿勢が低くなり、まったく抵抗を感じない。ちょっとヤンチャなところもあったけど、あの安定感は高級外車のようだったね」
「爪のもろい馬で、完調で戦ったことはほとんどなかった。だから、攻め馬もなかなか思うようにできず、ダクで2周程度、軽いキャンターがパターン。本格的な稽古ができたのは、全日本三才優駿と秋の鞍の時ぐらいだった。それでも南関東で17勝。強かった」
「中央入りの話が出て、中央の有力調教師に“どんな馬?”と訊かれたので、“ダイゴホマレ(1958年・昭和33年のダービー馬)より上”と答えておいたんだ。天皇賞と有馬記念を勝ってくれて、“そ〜れ見ろ”。鼻高々、うれしかったよ」

〔田所直喜〕

☆1962年度代表馬☆
オンスロート 1957.4.28生 牡・鹿毛
カネリユー
1951 鹿毛
ミルトン Miracle
シガアナ
神鈴 プリメロ
スリリング
ヤハギ
1951 鹿毛
クモハタ トウルヌソル
星旗
ウメヨシ ハクリユウ
第二梅春
 

馬主………田村 喜志
生産牧場…青森・青森牧場
調教師……東京・中村 広

通算成績 41戦26勝[26.7.4.4]
地方在籍時[17.6.1.3]
中央在籍時[9.1.3.1]
主な勝ち鞍 天皇賞・春(1962年)
有馬記念(1962年)


1962年12月23日
第7回有馬記念 中山 芝2600m・良
[5]10オンスロート牡654山岡 2.44.4
[3]タカマガハラ牡654野平好男1.3/4
[3]アサリユウ牡454加賀武見1/2