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馬 題字
特別復刻版 1963年5月12日
第23回皐月賞
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馬柱 ◎期待と落胆

 1963年(昭和38年)11月17日、京都競馬場。晴れ渡る秋空の下、第24回菊花賞が始まろうとしていた。4万を超す大観衆の視線の先には、セントライト以来22年ぶりの三冠制覇を目指すメイズイ。秋2戦は60キロで、ともに楽勝と意気軒昂だった。他陣営は恐れをなしたのか、菊花賞は10頭立てとなり、単勝は元返しの1.0倍。全売り上げの85パーセントがメイズイ絡みという圧倒的支持を集めた。

 一方、春は“MG決戦”と騒がれたグレートヨルカ。皐月賞・ダービーとも2着に泣き、巻き返しを狙った秋も、肩を傷めて前哨戦の京都盃を自重。不本意なローテーションを強いられ、関西のコウライオーに次ぐ3番人気に甘んじた。

 MG両馬を管理するのは、当代随一・尾形藤吉師。鞍上は、Mに森安重勝、Gに保田隆芳。心中は複雑だったが、メイズイの三冠を願っていたのは人情だろう。森安には「自然にゆけ」と指示していた。

 スタート。しばらくすると、メイズイはいつもと同じようにハナを切り、そのまま逃げ態勢に入った。悠々と駆け抜けた1周目スタンド前。もう1周、無事に回って、予定通りの大団円を迎えるだけだった。

 しかし、メイズイを見つめる尾形師の表情は険しかった。「手綱が波を打っている」。みるみる後続を引き離すと、2コーナー過ぎには30馬身もの差。メイズイのスピードに送られる無邪気な声援は、もう耳に入らなくなっていた。「重勝、どうしたんだ!」。

 メイズイが負けるはずがない。ファンもマスコミも厩舎関係者も、レース前から三冠馬誕生ムードの影響を受けていた。バックストレッチを独走する様に、レコード勝ちを飾ったダービーの姿が重なった。3コーナーから差は詰まってきたが、再スパートすれば大丈夫。もうすぐ歴史的瞬間に立ち会える。場内の興奮は高まるばかりだった。

 森安のムチが一発、二発。皆が異変に気がついたのは、直線に入ってからだった。反応がおかしい。スタミナが尽きたように外にヨレると、まず僚馬のグレートヨルカに内から交わされた。続いて、コウライオーが、パスポートが襲いかかる。

 メイズイの菊花賞は終わった。6着。三冠達成どころか、後ろから数えた方が早い惨敗を喫した。勝ったのはグレートヨルカで、名門の底力を示す形にはなったが、優勝騎手の保田も含め、厩舎スタッフにとっては何とも形容のしがたい結末であった。

 暴走か? 三冠の重圧か? 「同じ負けるにしても…」。“天下の大尾形”には不満が残った。

馬 ◎MGの歩み

 メイズイは1960年(昭和35年)3月13日、群馬県の千明牧場で生まれた。父・ゲイタイムは本場・英国ダービー2着馬。母・チルウインドは1959年(昭和34年)の皐月賞2着馬・メイタイを出している。期待を背負い、順調に育ったメイズイは、当時向かうところ敵なしの尾形藤吉厩舎に預けられ、慎重にデビュー戦を待った。

 明け4歳、63年1月3日。中山芝1200Mで10馬身差の快勝だった。2戦目をレコードで3馬身差、3戦目も4馬身差で無傷の3連勝。3戦とも鞍上は厩舎主戦のベテラン・保田隆芳。前人未到の通算1000勝が目前、43歳だった。

 メイズイの重賞初登場は4戦目、3月3日の東京記念(東京芝1600M)で、グレートヨルカと初対戦となった。前年の朝日盃3歳Sを制していたグレートヨルカは、この時点で7戦5勝。それまでも手綱を取っていた保田が、引き続きグレートヨルカに乗ることが決まり、森安にメイズイ騎乗のチャンスが巡ってきた。保田の存在は大きかったが、森安も気鋭の25歳。腕達者として知られていた。

馬  メイズイは2番人気。4頭立ての実質マッチレースは、グレートヨルカに軍配が上がった。ここで一旦はクラシック候補No.1はグレートヨルカに決まりかかったが、次のスプリングS(3月24日・中山芝1800M)ではメイズイが逃げ切って雪辱した。不良馬場とはいえグレートヨルカに4馬身差。まだ勝負付けは済んでいない。決着は皐月賞に持ち越された。

 厩務員ストライキ。皐月賞は5月12日に延期された。舞台は通常の中山から東京へ変わった。人気はグレートヨルカがわずかに上回ったが、先頭を行くメイズイを捕らえることはできなかった。その差2馬身。さらに遅れてクニイサミが5馬身差で3着だった。
 立場は逆転した。4月29日にコレヒサで天皇賞を勝ったばかりの森安にも勢いがあった。

 2分28秒7。5月26日に行なわれたダービーは、史上初めて2分30秒を切った。メイズイが後続を突き放すこと7馬身。グレートヨルカは、3着のイロハ(8番人気)を振り切るので精一杯だった。

 逃げたメイズイばかりが目立った春のクラシック。三冠制覇に向け、もはや視界をさえぎるものはなくなった。森安重勝は、栄光のダービー・ジョッキーの仲間入り。人馬とも絶頂を極めた。

◎距離の壁

 10年余りが経っていた。いろいろあった。ありすぎた。騎手生活の後半に入って、森安重勝は減量に苦しむようになっていた。普段の丸みを帯びた顔が、それを物語る。

 「距離が長かったんだよね…」。当時、東京担当のトラックマンだった梅沢直は、同席した麻雀卓で問わず語りを聞いている。脳裏から離れることは決してなかった。あの菊花賞以降、森安はメイズイでレースに臨むことは二度となかったのだ。

 〔0.2.1.3〕。メイズイの2600M以上の成績である。古馬になって保田が乗った天皇賞(3200M)では2着と8着に終わっている。逆にいえば、2500M以下の敗戦は東京記念の2着だけ。中距離での安定感は際立っている。

 思えば、三冠に煽られた菊花賞の人気集中は異常だった。そして史上に残る大逃げ。真実は正直なところ分からない。ただ、これだけはいえるだろう。速くて強かったメイズイの長所は、皐月賞とダービーにすべて集約されている、と。

〔田所 直喜〕

☆1963年度代表馬☆
メイズイ 1960.3.13生 牡・栗毛
ゲイタイム
1949 栗毛
Rockefella Hyperion
Rockfel
Daring Miss Felicitation
Venturesome
チルウインド
1946 栗毛
Wyndham Blenheim
Bossover
Heart of Midlothian Scottish Union
Eppie Adair
 

馬主………千明 康
生産牧場…群馬・千明牧場
調教師……東京・尾形藤吉

通算成績 22戦15勝[15.3.1.3]
主な勝ち鞍 皐月賞(1963年)
ダービー(1963年)


1963年5月12日
第23回皐月賞 東京 芝2000m・良
[3]メイズイ牡457森安重勝2.02.6
[1]グレートヨルカ牡457保田隆芳
[4]クニイサミ牡457伊藤竹男