
|
「雨の日と月曜日は…」
雨の月曜日だった。夕刻6時前、筆者は帰りの通勤電車、すいている先頭車両に乗り込み、例によってぼんやりしていた。井の頭線、そう断る必要があるのかどうか。いずれにせよこの線は、一駅間隔が1キロにも満たず、ちょっと走ってはすぐ止まる。だから常にノロノロとした安全運転。が、急ブレーキがかかった。思いもよらぬ場所で現実にキュッとかかった。ハッとして外を見ると、駅を通り過ぎている。5メートルばかりだったか。一瞬置いて車内放送。「停車位置を直します。しばらくお待ちください…」。
運転席は眼鏡をかけた長身の若者だった。そして隣に、浅黒く陽にやけ、いかにもベテランらしい運転士が座っている。“指導員”の腕章。若者は緊張の極致のようで、一駅ごとに腕を突き出し大きな声で確認合図。初々しくほほえましい。しかし現実に筆者が乗った7駅のうち、2つまでオーバーラン。高校生がはしゃいでいる。「おおっと新人、アブねえじゃん」 「もっと練習してから外へ出ろって」 「そういうこというんじゃねえよ。雨で滑ってカワイソウだろ…」。最後の言葉で救われたが、この3人、男子ではなく女子であった。
電車の運転が難しいこと。なぜ知っているかといえば、かつて「電車でGO!」そんなTVゲームにハマったから。車のようなハンドル操作はないものの、アクセルとブレーキ、そのレバーだけで停車位置にきちっと止めるのは相当な高等技術。しかもダイヤは数秒刻みで決められている。反射神経の鈍い筆者など、再三チャレンジしてもいい結果(点数)がなかなか出ない。思い出した。何年か前にみた中井貴一主演のドラマ。彼は営団地下鉄の優秀な運転士で、しかしわずかなオーバーランを理由に自ら職場をリタイアする役だった。
さて何の話か。小学校のクラス会が先日あった。およそ20年ぶり。卒業以来初めて再会する人もいるから感無量(12歳が52歳!)というしかないが、不思議なもので、最初テレ笑いを浮かべつつ案外すぐにナゴんでしまう。ノスタルジーと酒の実力。ともあれその日盛り上がった話題は、「子供のころ憧れた職業」であった。10人いて、そのうち4人が「電車の運転士かな…」という。意外であり、しかしなるほどでもある。制服を着て、キビキビハツラツと仕事をすること。筆者自身といえば、卒業アルバムの寄せ書きに「消防士」と書いていた(らしい)。
40年後の現実――。旧友の一人が言った。A君としよう。「仕事って、後から好きになるものかもしれない…」。A君は普通に大学文系を卒業、しかし不景気もあり希望の広告業界には入れず、結局先輩の引きで、大手“仏壇メーカー”に就職した。「最初は楽しくなかった。だって仏壇を売るなんて楽しいわけないじゃない。でも実際はだんだん楽しくなってきた」。この話は矛盾しそうで矛盾しない。A君は営業部配属、指定されたお寺を何度も訪ね、信頼を得たのち檀家を紹介してもらう。「値段が張るからそうそうは売れないけれど、会社推奨、自分もいいと思った仏壇を納品して、家族がそれに手を合わせてくれる。その瞬間は涙が出るほど嬉しかった」。
沢木耕太郎さんに「あめあめ、ふれふれ」という小品がある。主人公は大学中退、そのときすでに婚約者がいた事情で、行き当たりばったりに就職する。それがたまたま“傘屋”だった。最初は生活のための職場だったが、さまざまなできごと、経験を重ねるうち、仕事に愛着と意欲を感じていく。やがて、自分のブランドを作り独立。売れ行きの好調さとともに、デパートの占有スペースも広がっていった。いい傘を作って売りたい。お客を満足させたい。デザインにも機能性にもこだわるスペシャリスト。「梅雨時には…やっぱり雨が降ってほしい。売れるから? いやそうではなくて、人が傘をさしているのを見るのが好きなんです…」。A君のケースとよく似ている。
「ふーんそうか…。でもヨシカワの場合よかったじゃない。好きなことをそのまま仕事にできたんだから」。筆者の“身の上話”を聞いたA君はそういってくれた。が、本人には内心複雑な想いもよぎる。いや競馬自体は30年あまりひと通りでなく愛してきたし、競馬記者という仕事もそうだ。後悔の気持ちなどもちろんない。ただ、なにかストレートすぎて、子供っぽすぎて、いわばオトナ人生的な機微とか起伏とかには縁がなかった。不思議な出会いを“転機”にしてしまったA君へのかすかな羨望。もう一つ、もし記者が市役所にでも勤めていて、土日ギャンブラーだったら…という想像。はたして競馬をどんな風に愛していたか。かつて「もっと競馬を楽しみたいから…」、そう言い置いて日刊競馬を退社した先輩がいた。当時は不可解だった。今はなんとなくわかる。
恩師は75歳になっていた。52歳の生徒が周りをぐるりと囲み、乾杯して握手して、デジカメでかわるがわる記念写真をとってもらう。先生は40年前、加山雄三ちょっと似で人気があり、さっぱりと快活で、しかし愛情の深い人だった。「君は僕と同じ仕事が向いているように思っていたけど…」。20年前のクラス会と同じことをいわれた。尊敬していたから、先生の前では“しっかりいい子”を演じていたのかもしれない。もっとも筆者は学生のころ教職課程をとっていて、選択肢の一つではあった。ただ、いま思えば、やはりこの少年にはヤクザな気分の方が強かったようだ。ハタ迷惑な教師にならなくてよかったか。「波の多い業界なんだろうね。まあとにかく元気で頑張って…」。“波の多い業界”とは、毎年筆者に返してくださる年賀状、先生の決まり文句だ。
ひとまずお開きになり、地下の店から階段を上がると、外は雨が降っていた。ネクタイとスーツできっちり固め、しかし不釣合いに上気した赤い顔の青年たちがぞろぞろと歩いている。直後に先輩らしき数人が談笑しながら続き、その後ろから部長さん(?)が、なにか所在なげなあいまいな表情でゆっくりゆっくりついてくる。フレッシュマンの歓迎会――。思えばその日も月曜日だった。以後わずかな道のりで、よく似た構成の10人連れ、20人連れと3組ほどもすれ違ったから、近年こういう行事は“月曜日”が定番になっているのかもしれない。
二次会はカラオケで、先生はいきなりオープニング指名、「君といつまでも」を歌わされ、それでも大きな喝采を浴び上機嫌だった。残された生徒十数人(なぜかすべて男!)、順番に熱唱し、やはり時代なのだろう、グループサウンズの曲が多かった。「夕陽が泣いている」「花の首飾り」…。しばし恍惚としていると、両膝にドサッと重いものが置かれた。カラオケの歌本とは、近年電話帳より分厚いかもしれない。パラパラめくった。井上陽水の「人生が二度あれば…」に目が止まったが、これはこの夜の気分に合いすぎる。A君が一緒に歌おうよという。それはタイガースの「シーサイドバウンド」だった。
|

吉川 彰彦
Akihiko Yoshikawa |
本紙解説者、スカパー!・品川CATV大井競馬解説者、ラジオたんぱ解説者
常に「夢のある予想」を心がけている、しかしそれでいてキッチリと的中させるところはさすが。血統、成績はもちろんだが、まず「レースを見ること」が大事だと言う。その言葉通り、レースがある限り毎日競馬場へ通う情熱。それが吉川の予想の原点なのである。
2005.03.16の船橋競馬でパーフェクトを達成!! |
|