不定期更新
2005.10.18


 「英雄のいた日」

 トゥインクルの帰り、京急・立会川駅でハイセイコーのパスネットを買った。今秋キャンペーン中の「リメンバー・ハイセイコー」グッズの一つ。ハイセイコーは“青雲賞”のレイをかけられ、高橋三郎騎手(現調教師)を背に仁王立ちしている。純白の覆面。精悍な黒鹿毛。バックは零れ落ちるかのような満員のスタンド。昭和47年――確かに遥か遠すぎて、今のファンにアピールできるかは、正直苦しい。ただ、30余年の年月を経て、なお誇れる名馬、語り継ぎたい名馬が、大井から誕生している事実。改めて…の意図はもちろんわかる。

 ハイセイコーのことは、日刊競馬紙上で何度も書かせていただいた。華やかで圧倒的で、そのくせ感傷的な競走生活。昭和40年代後半、時代の“気分を”背負って走った、そんな存在でもあっただろう。当時の日本。今思えば、社会、経済、すべて曲がり角を迎えている。何とはなし、漠然と沸いてくる無力感と息苦しさ。そこに明快なヒーローが現われ、人心を欝から躁へ一気に変えた。大井6戦全勝。そこから大舞台へ臨む経緯も、時代の気分にぴたり合った。

 鳴り物入り、いや狂想曲とでもいうべき大フラッシュの中央入り。1頭の競走馬がなぜそこまで熱視を浴びたか、今思ってもやはり不思議だ。いずれにせよ当時はダートGなど存在せず、地方の期待馬がステップアップを望めば、それは移籍しか手立てがない。ハイセイコーは、3月中山、初戦弥生賞を勝ち、以後、スプリングS、皐月賞、NHK杯(当時2000メートル)と連勝した。鞍上・増沢末男騎手。夢が現実を常に追い超していた馬だから、痛々しいほどの重圧だろう。今のコスモバルクに少し似て、しかし温度差はかなり大きい。結局11戦目「日本ダービー」、単勝1.2倍で完敗した。神話を断ったタケホープ。寺山修司はこう書いた。「嶋田(功)騎手は大変な間違いを犯してしまった。彼はアンデルセン童話の中、“王様は裸だ!”と叫ぶ子供のように分別がなかった」。

 オグリキャップと比較する。野武士であり、怪物であり、人々の英雄願望を満たした点では、役割りもキャラクターも大差がない。しかし、実体的な強さを持つオグリに対し、ハイセイコーは多分に心象的に“伝説”が構築された。オグリはその容赦ない勝ちっぷりから、しばしば敵役にも回っている。ハイセイコーは終生そんなことがない。気はやさしくて力持ち――たとえ負けても日本人の“心の琴線”に沿って走った。競馬場は常に満員札止め、一方的なエールと喝采であふれかえった。繰り返すが、不思議な馬、そして時代の気分としか言葉がない。現実にダービー以後、GI級は宝塚記念1勝だけで、結局ラストランも飾れなかった。有馬記念2着、宿敵タケホープには先着したが、異世代の上昇馬タニノチカラに完璧な力負け。ごく醒めた物言いなら、オグリキャップとは、実力も運も、埋めきれない差があった。

 「花と咲くより、踏まれて生きる、草の心がおれは好き――」。大井出身のハイセイコーに限りない愛と喝采を送った寺山修司にしても、さきのダービー回顧では“裸の王様”と述懐している。はたして真のスーパーホースかどうか。ごく客観的には誰も思いが揺れていた。急速度な増幅、巨大化しすぎてしまった夢と願望。ただ寺山修司は、この話題に触れるたび、いつも同じ“名言”を引用し、象徴的なメッセージを読者へ送った。「英雄のいない時代は不幸である。しかし英雄を必要とする時代はもっと不幸だ=ベルトルド・ブレヒト」。オグリキャップは心底強い怪物だった。対してハイセイコーは、勝たせたい、勝ってほしい、生命力のシンボルとして、その時代を力走した。

 自分のこと。当時ビギナー2〜3年目、生意気盛りの競馬学生だったから、ハイセイコーを逆の色眼鏡で見ていたように記憶する。時代の寵児やらなにやら、彼を無条件で賛美する“オトナの気分”が、まるで理解できなかった。肩入れした報道が、アンチをますます意固地にさせる。みんなとは違う――根拠もなく自己主張したがる年齢でもあっただろう。馬券は常に外して買い、実際好配当を手にした日もないではなかった。まあしかし、そんな話など今は昔…か。50台に突入した記者は、現在ごく素直にハイセイコーへ愛惜の情が浮かぶ。地方びいき、大井びいき、そのテリトリー意識だけが理由かどうかは正直よくわからない。

 大河ドラマ。ハイセイコーは種牡馬として風評以上に成功した。チャイナロック×カリム。今風でないと囁かれながら、その節目節目にこれはという産駒を出した。カツラノハイセイコ(ダービー)、サンドピアリス(エリサベス女王杯)、ハクタイセイ(皐月賞)。しかも計ったような10年置きの出現で、彼らは父と180度ムードが違う、ここ一番、勝負強さと強運を備えていた。自身のレースで燃え尽きたオグリキャップ――その意味では明暗を分けたかもしれない。ただこの3頭、ルックスもレースぶりも、父とはあまり似ていなかった。代表産駒。あくまで個人的だが、キングハイセイコーをイメージする。南関東2冠馬。いわく父同様“黄金のジリ脚”で、最後ロッキータイガーの切れ味に3冠の夢を断たれた。

 またぞろ長い昔話で申しわけない。ふと思った。“英雄のいない時代”とは、“英雄のいない競馬場”に、そのまま置き換えられるだろう。「英雄のいない競馬場は不幸である。しかし、英雄を必要とする競馬場とはもっと不幸だ――」。ともあれハイセイコーのパスネットは、ほんの数日後、立会川駅からポスターが消え、聞けばわずか1週間で完売になったという。古いファンには郷愁で、新しいファンには憧憬だったということか。英雄のいた日――からすでに33年の時が流れた。そしてハイセイコー自身は平成12年、30歳までその天寿をまっとうしている。



吉川 彰彦
Akihiko Yoshikawa

本紙解説者、スカパー!・品川CATV大井競馬解説者、ラジオたんぱ解説者
 常に「夢のある予想」を心がけている、しかしそれでいてキッチリと的中させるところはさすが。血統、成績はもちろんだが、まず「レースを見ること」が大事だと言う。その言葉通り、レースがある限り毎日競馬場へ通う情熱。それが吉川の予想の原点なのである。