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2005.03.29


 「ステッキを置く」

 岡部幸雄騎手が引退した。56歳。18646戦2943勝。18歳のデビュー、以後38年間を馬とともにひた走ってきた巨星である。テリトリーの違う記者は、面識はもちろん直接お話を聞く機会もなかったが、報にふれ、やはり感無量であった。競馬を覚えたてのころ、岡部騎手はちょうど減量がとれた若手のホープ。昭和44年日本ダービー初騎乗、マスミノル(父テッソ)に乗って10着だった。そのマスミノルは栗毛に白斑という異相の馬で(後に東京新聞杯勝ち)何やらさまざま思い出と感傷が交錯する。

 「騎乗技術を磨くのはもちろんですが、一般社会のことも勉強し人間として成長したい」。デビュー直後「優駿」の記事だったか、本人のそんなコメントを読んでいる。思えば最初から何かが違う。当時は野平祐二、加賀武見の全盛で、同期に福永洋一、柴田政人、その前後に小島太、郷原洋行、嶋田功…華やかなスタージョッキーがそろっていた。キャラクターはむしろ地味。ただその中で、“フリー騎手制”、“世界への挑戦”など、現実に日本騎手の道を広げてきたのは岡部さんだ。改めて驚くこと。デビュー5年目に米修行、翌年デルマーで初騎乗を果たしている。功なり名をとげてからの話ではない。アンちゃんと呼ばれるうちから意識と姿勢が違っていた。

 「自分には(騎手としての)才能がない」。若いころの口癖だったという。ある意味わからないでもない。たとえば当時、野平祐二は華麗、加賀竹見は豪胆というイメージがあり、現実にいつも個性が際立つ騎乗をした。スターホースに跨る。祐ちゃんならこう乗る、加賀ならこう乗る、勝敗はともかくファンは思惑通りのパフォーマンスに溜飲を下げていた。岡部幸雄にはそれがなかった。馬の性格、気分にまかせた自然流。「馬に教えたいことはいっぱいある。ただその前に、彼(馬)をもっとわかってあげたい」。晩年はそんな談話が多かった。馬優先主義――本人の口から出たかどうかはともかく、ポリシーはその言葉がおそらく近い。

 昭和58年、2歳・シンボリルドルフと出会った。騎手生活16年目の夏。そして以後2年半、和田共弘オーナー、野平祐二師とともに至上の宝物を創りあげていく。ルドルフは無敗の3冠、ジャパンカップを含め可能なG�Tタイトルをすべて獲った。競馬センス、瞬発力、勝負強さ、まさしく“皇帝”という言葉が似合った。ルドルフの登場は、記者とすると、紀元前、紀元後くらいに認識している。岡部騎手は15戦すべて手綱をとった。「ダービーのとき、いやそのときだけはヒヤッとした。府中では反応がよくない。直線懸命に追って最後交わしたと思ったら(ルドルフは)楽走になっていた」。「なぜお前は慌てている。勝負はゴールなんだから…そう馬に言われた気がした」。ルドルフは最強の馬であり、鞍上は無色透明。だからこそ金字塔が達成された。

 「岡部さんは尊敬できる凄い人…」。それは石崎隆之騎手の口から何度か聞いた。コース取り、仕掛けどころのタイミング、東京に中山に乗りに行くたび、常に的確なアドバイスを受けている。地方ナンバー1にせよ、当初JRAは未知の領域、本人が少し心細い状況だったから、その心配りが身にしみた。岡部騎手は基本的に口数少なく、しかし背中が何かを物語る、そういう人であるらしい。目標を高く置くこと。研究、努力を惜しまないこと。自らに過酷なほど厳しいこと。「何もかもが僕らのお手本。そう、生ける教科書のような人ですね…」とは、後藤浩輝騎手の談話である。

 03年、右膝亀裂骨折など怪我が重なり、1年あまりのブランクがあった。そして昨年1月カムバック。傍からはベテラン健在とみえたが、本人には自分が歯がゆい。「思う通りに体が動いてくれなくなった。馬に迷惑をかけている、そう思うとたまらなく辛かった…」。最後まで“らしい”姿勢と態度で、自らドラマの幕を下ろした。引退後のこと。JRAは新人騎手育成のポスト就任を打診したが、それに「しばらく充電」とやんわり断ったのも岡部さんらしいだろう。「これから外から競馬を見る。馬券を買える立場に変わって、違ったコメントができるかもしれません」。大いに楽しみ。名騎手→名調教師ももちろんいいが、その道を歩めば発想にも発言にも制約がからみつく。岡部さんがマスコミ転進なら、それこそ業界自体、革命的な変化もないではない。

 岡部幸雄と地方競馬。イメージは一見薄いが、記録をたどればそうでもない。彼の初重賞勝ち、ハクセツという馬。記者がビギナーのころ、「牝馬東京タイムス杯」を直線一気、爆発的な追い込みで制している(68年)。地方出身。大井では「ハナミドリ」の名で走っていた。当時白黒のテレビ。それでも芦毛のハクセツは、見た目もパフォーマンスも鮮烈な印象として残っている。最後の重賞勝ちがワイルドソルジャー「名古屋グランプリ」、名人芸ともいえる逃げ切り。「やり残したことも悔いもない。馬がいたから人生があった。心の底から感謝したい」。付記すれば、岡部騎手は91年大井「全日本リーディングジョッキー」優勝、さらに96年シンコウウインディで「スーパーダートダービー」2着(勝ち馬サンライフテイオー=高橋三郎)など、数々の足跡を残している。



吉川 彰彦
Akihiko Yoshikawa

本紙解説者、スカパー!・品川CATV大井競馬解説者、ラジオたんぱ解説者
 常に「夢のある予想」を心がけている、しかしそれでいてキッチリと的中させるところはさすが。血統、成績はもちろんだが、まず「レースを見ること」が大事だと言う。その言葉通り、レースがある限り毎日競馬場へ通う情熱。それが吉川の予想の原点なのである。